【つたえるつなげる】広島・海田町の8月6日 88歳女性の記憶を紙芝居に 爆心地から約10キロでも爆風
4/14(火) 18:08
特集「つたえるつなげる」です。
8月6日の記憶は、広島市を中心に語られ、残されてきました。
こうした中、海田町で継承の取り組みが始まっています。
8月6日の記憶は、広島市を中心に語られ、残されてきました。
こうした中、海田町で継承の取り組みが始まっています。
広島市の隣町人口およそ3万人の海田町。
爆心地からおよそ6~11キロに位置します。
81年前の記録は町として主だっては残っていません。
そんな中、ある紙芝居が制作されました。
「あの日の海田町」。
88歳の女性の記憶をもとに作られたものです。
「いつも通り奥海田小学校に登校し朝礼をしている最中、青く晴れた空を見上げると、戦闘機が広島市内の方へ飛んで行きました」
爆心地からおよそ6~11キロに位置します。
81年前の記録は町として主だっては残っていません。
そんな中、ある紙芝居が制作されました。
「あの日の海田町」。
88歳の女性の記憶をもとに作られたものです。
「いつも通り奥海田小学校に登校し朝礼をしている最中、青く晴れた空を見上げると、戦闘機が広島市内の方へ飛んで行きました」
【丹波邦子さん】
「飛行機が飛んでるっていうのは鮮明に覚えてる。忘れることはできない」
紙芝居の主人公丹羽邦子さん(88)。
小学2年生だったあの日、この場所で、原爆を投下する直前のB29を目撃しました。
【丹波邦子さん】
「すぐよ、警報が鳴りだして教室に入って、机の下にもぐりこんで」
「飛行機が飛んでるっていうのは鮮明に覚えてる。忘れることはできない」
紙芝居の主人公丹羽邦子さん(88)。
小学2年生だったあの日、この場所で、原爆を投下する直前のB29を目撃しました。
【丹波邦子さん】
「すぐよ、警報が鳴りだして教室に入って、机の下にもぐりこんで」
現在の海田東小学校、当時の奥海田国民学校で丹波さんは、そのときを迎えました。
【1945年8月6日午前8時15分】
【丹羽邦子さん】
「爆風でガラスが壊れて、同級生の男の子(が)足(を)怪我したり、だから、あの海田でも爆風が来たんですよ」
状況がわからないまま、帰された自宅で見たのは…
【丹羽邦子さん】
「もくもくもくもくと原爆雲、大きさはとてつもない。もう次から次に湧き出る」
あの日、海田町からも原爆のキノコ雲がはっきりと見えていました。
その後、丹羽さんは、自宅で黒い雨を浴びました。
【1945年8月6日午前8時15分】
【丹羽邦子さん】
「爆風でガラスが壊れて、同級生の男の子(が)足(を)怪我したり、だから、あの海田でも爆風が来たんですよ」
状況がわからないまま、帰された自宅で見たのは…
【丹羽邦子さん】
「もくもくもくもくと原爆雲、大きさはとてつもない。もう次から次に湧き出る」
あの日、海田町からも原爆のキノコ雲がはっきりと見えていました。
その後、丹羽さんは、自宅で黒い雨を浴びました。
【丹羽邦子さん】
「しばらくすると、国道沿いでしょ、家が。だから、被爆した人がぞろぞろぞろぞろ帰ってきだして」
顔にガラスが刺さった人や皮膚が溶けて垂れ下がった人が、呻き声をあげてゆっくり歩いてきたと言います。
【丹羽邦子さん】
「手にね、水ぶくれができてた兵隊さんが広島駅で被爆したっておっしゃってて。ポケットのタバコを取り出してほしかったの、私に。出してくれと言われたんだけど、私、怖くて出せなくてあげることができなかったら、それがすごく印象に残っている」
父は、直後に消防団として広島市へ向かい入市被爆。
その惨状を、決して話しませんでした。
姉は、広島駅近くで被爆。
その後、原爆症を恐れられ差別にあいました。
二人は、肝臓がんと白血病で亡くなり、原爆の話は家族の中でも語られることはありませんでした。
【丹羽邦子さん】
「子どもたちにも言ってない。でも、気持ちとしてはね、ずっと原爆のことは気にしてて」
「しばらくすると、国道沿いでしょ、家が。だから、被爆した人がぞろぞろぞろぞろ帰ってきだして」
顔にガラスが刺さった人や皮膚が溶けて垂れ下がった人が、呻き声をあげてゆっくり歩いてきたと言います。
【丹羽邦子さん】
「手にね、水ぶくれができてた兵隊さんが広島駅で被爆したっておっしゃってて。ポケットのタバコを取り出してほしかったの、私に。出してくれと言われたんだけど、私、怖くて出せなくてあげることができなかったら、それがすごく印象に残っている」
父は、直後に消防団として広島市へ向かい入市被爆。
その惨状を、決して話しませんでした。
姉は、広島駅近くで被爆。
その後、原爆症を恐れられ差別にあいました。
二人は、肝臓がんと白血病で亡くなり、原爆の話は家族の中でも語られることはありませんでした。
【丹羽邦子さん】
「子どもたちにも言ってない。でも、気持ちとしてはね、ずっと原爆のことは気にしてて」
そんな丹羽さんに去年、転機が訪れました。
近所の小学校の6年生が、「海田町の8月6日について学びたい」と当時を知る人を探し、協力を求められたのです。
【丹羽邦子さん】
「もうこの年になったら後がないから、誰かに話はしたい思いはずっと持っていた。これは大事なことだわね。次につなげていきたい気持ちはあった。すみにはあったの」
話を聞いた子供たちは、自分の住む町の過去を知り驚き、歴史を残そうと紙芝居を制作しました。
その過程で子どもたちは、80年前の丹羽さんの経験を追体験していきました。
近所の小学校の6年生が、「海田町の8月6日について学びたい」と当時を知る人を探し、協力を求められたのです。
【丹羽邦子さん】
「もうこの年になったら後がないから、誰かに話はしたい思いはずっと持っていた。これは大事なことだわね。次につなげていきたい気持ちはあった。すみにはあったの」
話を聞いた子供たちは、自分の住む町の過去を知り驚き、歴史を残そうと紙芝居を制作しました。
その過程で子どもたちは、80年前の丹羽さんの経験を追体験していきました。
【海田西小学校 紙芝居を制作した児童】
「とても恐ろしいなと思います」
「こんなことが起きたとは知らなかったからすごいびっくりした。お母さんも知らなかったからお母さんに話した」
「他の小学校の子にもこんなことがあったんだよとと伝えて、よりそこで多くの人に伝えてもらって、多くの人にこの紙芝居を読んで平和の大切さを知ってもらいたいと思います」
「とても恐ろしいなと思います」
「こんなことが起きたとは知らなかったからすごいびっくりした。お母さんも知らなかったからお母さんに話した」
「他の小学校の子にもこんなことがあったんだよとと伝えて、よりそこで多くの人に伝えてもらって、多くの人にこの紙芝居を読んで平和の大切さを知ってもらいたいと思います」
この日、卒業を前に、丹羽さんに紙芝居を披露する会が開かれました。
【紙芝居】
「市内から歩いて帰ってきた人たちが亡くなると、小学校の運動場に穴を掘り、そこでまとめて死体を焼いていました。名前などが分からないまま焼かれていたそうです」
「原爆の被害がほとんどなかった海田町でも、食べるものに困る日々でした」
「私が皆さんに伝えたいことは一日一日を大切に生きてほしい。当たり前の生活を大切にし、友達とも仲良くし、みんなが心穏やかに過ごしてほしいと思います」
【紙芝居】
「市内から歩いて帰ってきた人たちが亡くなると、小学校の運動場に穴を掘り、そこでまとめて死体を焼いていました。名前などが分からないまま焼かれていたそうです」
「原爆の被害がほとんどなかった海田町でも、食べるものに困る日々でした」
「私が皆さんに伝えたいことは一日一日を大切に生きてほしい。当たり前の生活を大切にし、友達とも仲良くし、みんなが心穏やかに過ごしてほしいと思います」
【丹羽邦子さん】
「本当にうれしく思います。これからも、原爆だけでなくて、戦争について、平和について、皆さんが一生懸命考えながら、またこれからの世の中が平和であるためにどうしたらいいのか、しっかり皆さん考えてほしいと思います」
80年の時を超え紙芝居として残された海田町での記憶。
それは思わぬ広がりを見せました。
「本当にうれしく思います。これからも、原爆だけでなくて、戦争について、平和について、皆さんが一生懸命考えながら、またこれからの世の中が平和であるためにどうしたらいいのか、しっかり皆さん考えてほしいと思います」
80年の時を超え紙芝居として残された海田町での記憶。
それは思わぬ広がりを見せました。
この日、行われたのは「こども議会」。
町長も出席する中、海田西小の代表がこども議員として臨みます。
【海田西小学校代表 こども議員】
「80年前の海田町の様子を描いた紙芝居についてです。私たちは80年前のあの日海田町の状況はどうだったのか、知っておくべきだと思います。私たちに話してくださった思いを、この海田町でも伝えていくべきだと思います」
【海田町 竹野内啓佑 町長】
「戦争を知る世代が少なくなっている今戦争の記憶や平和への願い、これを次の世代に継承する大変意味のある取り組みだと評価しています」
町長も出席する中、海田西小の代表がこども議員として臨みます。
【海田西小学校代表 こども議員】
「80年前の海田町の様子を描いた紙芝居についてです。私たちは80年前のあの日海田町の状況はどうだったのか、知っておくべきだと思います。私たちに話してくださった思いを、この海田町でも伝えていくべきだと思います」
【海田町 竹野内啓佑 町長】
「戦争を知る世代が少なくなっている今戦争の記憶や平和への願い、これを次の世代に継承する大変意味のある取り組みだと評価しています」
早速春休みに、役場のロビーで紙芝居の動画を流すことに。
今後、町内の公共施設に紙芝居を置くことや、小中学校の学習での活用も検討されています。
丹羽さんは、去年12月、被爆者手帳を取得しました。
今回、子どもたちへ語ったのをきっかけに、機会があれば記憶を伝えようと、決意しています。
【丹羽邦子さん】
「大事なことかな、伝えるということはね。理解がね、どんどん進むことが大切だと思うから」
忘れられなかったあの日の記憶は、今未来の平和のために、多くの人のもとへ届けていきます。
今後、町内の公共施設に紙芝居を置くことや、小中学校の学習での活用も検討されています。
丹羽さんは、去年12月、被爆者手帳を取得しました。
今回、子どもたちへ語ったのをきっかけに、機会があれば記憶を伝えようと、決意しています。
【丹羽邦子さん】
「大事なことかな、伝えるということはね。理解がね、どんどん進むことが大切だと思うから」
忘れられなかったあの日の記憶は、今未来の平和のために、多くの人のもとへ届けていきます。
