福光酒造 株式会社(広島県)
祖父たちが築き、町の人々に愛され続けた酒蔵。しかし、その酒蔵は突然その歴史に幕を下ろしました。「いつか酒蔵を継いでほしい」という祖父との約束を胸に抱いていた孫は、夢を断たれながらも、その思いを捨てることができませんでした。やがて故郷へ戻り、酒蔵復活を決意しますが、立ちはだかったのは思いもよらぬ法律の壁。酒蔵はあっても、日本酒を造ることができなかったのです。それでも男は諦めません。祖父から受け継いだ技術と情熱、そして町の人々の後押しを力に、新たな形で酒蔵の再生に挑みます。消えた酒蔵をよみがえらせたい。一人の男と地域の人々が紡いだ復活の物語に迫ります。今回は、故郷の誇りを未来へつなぐため、地域とともに新たな一歩を踏み出した酒造りのカンパニーのそ~だったのか!に迫ります。


1933年創業の「福光酒造」では、かつて町民に愛された銘酒「朝光」をつくっていました。二代目蔵元は、孫の福光寛泰さんに後継ぎの願いを託していましたが、高齢で引退する時、福光さんはまだ23歳。酒造会社で修業中も経験や技術が足りず、三代目には親せきが就任します。ところが、三代目が突然の脳梗塞で倒れると、両親は息子の将来を思い、福光さんに無断で廃業と酒造免許の返納を決めてしまいました。突然、祖父との約束を断ち切られてしまった福光さんですが、それでも両親の思いを受け止め、一度は酒造会社で働き続ける道を選びます。しかし、酒蔵への思いは消えず、祖父たちが守り続けた「朝光」をもう一度この町に蘇らせるため、酒造会社を辞め、酒蔵復活に踏み出したのです。


酒蔵の復活に向け、9年間使われていなかった建物を改装することにした福光さん。地域の人々も力を貸してくれ、再開への準備は整ったかに思われました。ところが、一度返納した酒造免許の再取得はかなわなかったのです。そこで、目を付けたのが「どぶろく」。地元の北広島町は「どぶろく特区」で、一定の条件を満たせば製造免許を取得できるうえ、製造過程は日本酒とほぼ同じで、福光さんの経験と技術を最大限に生かせる酒でした。さらに、祖父の代から使われてきた米「こいもみじ」で復活を目指しますが、すでに町から姿を消していたのです。しかし、栽培する農家こそ途絶えていたものの、農協に種もみが保管されていたことが判明し、地域の人たちと栽培。持てる技術を注ぎ込み、構想から5年、ついに「どぶろく朝光」が完成したのです。