被爆者の高齢化で活動が困難に 揺れる日本被団協 これからの組織のあり方を模索 解散止む無しとの意見も

10/20(火) 19:07

被爆者の全国組織、日本被団協の今を見つめます。
被爆者なき時代を前に今後の組織の在り方について議論を進めています。
県内でも、原爆被害者の地域組織の解散が相次ぐ中、被爆者の思いを取材しました。

【日本被団協・田中熙巳代表委員】
「80周年を迎えられるかは大変疑わしい。そういう意味でもきょうの70周年は非常に素晴らしい」

今月7日に東京で開かれた日本被団協の結成70周年を記念した式典。
全国から被爆者や被爆2世などを中心におよそ140人が集まりました。
国による被爆者への援護のなかった1956年に被爆者や遺族が集まって結成した日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)。
国家補償を求めることと、核兵器の廃絶を2大目標に活動してきました。

2024年には核兵器のない世界を実現するため長年、証言活動などを続けてきたことが評価されノーベル平和賞を受賞。

しかし、原爆投下から81年。
組織は、今、「被爆者なき時代」といういつか訪れる日に向き合っています。

【日本被団協・田中熙巳代表委員】
「生き残っている被爆者たちの役割と語り残してきた被爆者たちの訴え、そういうものが注目されなくてはいけない時に来ている」

式典の翌日、話し合われたのは今後の組織の在り方。
今年6月には被爆2世や3世などで存続を目指すか、被爆者の活動実態がなくなった時点で解散するかを1年後に決める方針を表明しました。
それ以降初めてとなる代表者会議。
6月に示された提案に対し各都道府県組織の代表が意見を述べました。

広島県被団協を代表して参加した熊田哲治事務局長。
被爆2世です。

【広島県被団協・熊田哲治事務局長】
「厳しい国際情勢の中で被爆の実相を発信してきたその中心の一つである日本被団協が解散の方向を出す、それはないのではないか」

【長崎県代表(被爆2世)】
「さきほどから『解散』という言葉が流れるたびにたまらなくなって、(組織を)作った人々はどのように思っているか言葉にならない」

被爆地ヒロシマとナガサキからは、強く存続を求める声が上がりました。
さらに、その他の地域からも高齢化という課題を抱えながらも存続を要望する声が相次ぎました。

【島根県代表(被爆2世】
「私は2世ですが、5年前に会長を引き受けた時に被爆者が1人でも元気なうちは協議会は存続させよう、自分たちで頑張ろうというつもりで行ってきている。このままの形で(日本)被団協は体制を整えながら残していただきたい」

【埼玉県(被爆者)】
「ノーベル平和賞を受賞したことで世界に通じる名前、これは消してはいけないと考えています」

一方、被爆者の高齢化により従来の組織を維持し続けるのは難しいという意見も出ました。

【大阪府代表(被爆者)】
「あまり活動ができていません。高齢ということもあるし、歳をとった被爆者というのは諦めの境地なんです」

【長野県代表(被爆2世)】
「1人で色んなことをやっているような現状です。年齢も79歳です。被爆者の方よりは若いですが、健康状態と相談しながらやって行かざるを得ないと思う。長野県の70年の歴史はつなげたいと思っているが、いかんせん色んな問題がある」

この4カ月で組織の在り方について議論する場さえ持てなかったという地方組織も複数ありました。

【宮城県代表(被爆者)】
「総会の通知を出しても返事が全然ない。私も非常に困っている」

この日は意見を述べるに留まった会議。
全国で、さらに議論を深め来年6月頃の総会で方針の決定を目指します。
被団協の解散は考えられないと訴えた熊田さんですが、地方組織の実情を聞き、活動を継続する難しさを再認識しました。

【広島県被団協・熊田哲治事務局長】
「僕も聞きながら当面我々も2世が引き継いでいるといってもほぼ70代、ですからそんなに長くはないです。そうすると我々2世が引き継いでもその次バトンタッチできる3世はどんなに組織できているか、そういうことを改めて考えていかないと」

代表委員でもあり2年前のノーベル平和賞授賞式で若い世代の活動に期待を示した田中熙巳さん。

【日本被団協・田中熙巳代表委員】
「基本的にはやはり今までの被団協の運動や組織を変えないでいったほうがいいという意見だったと思う。方向性が見えてきた感じが私はしていると思う」

「存続」を求める意見が多かったことを評価しつつ、今後のあり方を具体的に議論する必要性を強調しました。

【日本被団協・田中熙巳代表委員】
「今までのような被団協の運動は高齢化なのでやっていけないのではないか。それに代わるもの、議論はまだまとまっていないけども、検討しなくちゃいけない」

被爆者の平均年齢は86歳を超え、あの日を語ることができる被爆者は年々減っています。

【日本被団協・箕牧智之代表委員】
「原爆投下 午後3時頃、私の家の前をボロボロの服を着た人がゾロゾロ歩いて、髪はボサボサ、服はボロボロ、履物は履いたり履かなかったり」

今月10日、江田島市で被爆証言を行った日本被団協の代表委員でもある箕牧智之さん。

【日本被団協・箕牧智之代表委員】
「To everyone in the world.世界のみなさんへ、被爆者が生きているうちに核兵器を無くしてください。今生きている被爆者9万人の訴えです」

3歳の時の記憶を伝えるとともに、核兵器廃絶を訴えました。

【日本被団協・箕牧智之代表委員】
「被爆者が一人もいない時代来るが、やはり日本は原爆を落とされた地域だから被爆者がいなくても核兵器のない平和な世界を作るという運動はみんなしていかなければいけない。被爆者だけじゃなくて、国民を挙げてそういう雰囲気を作っていかなければ」

次世代による活動の継承を願う被爆者たち。
一方で、県内各地の被爆者の会は解散せざるを得なくなっているのもまた事実です。

【音戸町原爆被害者友の会・崎本賢次会長】
「令和6年9月2日、音戸町原爆被害者友の会総会を開きました。参加者は9人でした」

先月、解散することを決めた呉市音戸町の被爆者組織「音戸町原爆被害者友の会」。
1964年に設立され、85年には被爆体験記を発行。
設立した時にはおよそ560人いた会員は39人まで減少していました。
会長で、被爆2世の崎本賢次さんは、自身の体調不良を抱えながらもなんとか会を運営してきました。

【音戸町原爆被害者友の会・崎本賢次会長】
「この手がね、前は左手じゃないと持てなかった。これを今はこれをこうして、さあおいしいコーヒー淹れますよ!」

数年前、崎本さんは首の靭帯が神経を圧迫する病気にかかり、日常生活もままならなくなりました。
今でも右半身にしびれが残っています。
時期を同じくして、他の役員も入退院を繰り返しさらに崎本さんが足を骨折。
「解散」の選択に踏み切らざるを得なくなりました。

【音戸町原爆被害者友の会・崎本賢次会長】
「会費を集めに行くのも文書が県被団協から届いてそれを送付することすらしんどくなってきている。リハビリにずっと明け暮れる中で考えたことは、人生は明日、明後日、半年後約束はできないと思った」

音戸地区以外にも、これまでに尾道市の因島地区や御調地区などが解散に踏み切っています。
全国の都道府県組織でも同じことが起きると想像します。

【音戸町原爆被害者友の会・崎本賢次会長】
「どうしても各県は高齢者、病気等々で組織を維持する方がいなくなるということで、大変つらい思いをされながら解散せざるを得ないという県が多くあるのではなかろうか。だから今ここが日本被団協のちょうど正念場になるかなと私は思っている」

一方で、解散を決めた今も崎本さんの心は揺れています。

【音戸町原爆被害者友の会・崎本賢次会長】
「(被爆者の)父や母とのつながりが消えるんではないかという寂しさ。原爆の被害に遭われた方々と、いろんな文書等を通じて知り合い、心の交流がなされたにも関わらず、組織をなくしたらそういうのもなくなるのではないかという不安感の方がものすごく今大きくなってきている」

活動を続けたくてもできない。
理想と現実のはざまで揺れる被爆者組織。
被爆者の目標が達成できないまま、81年という月日が今、私たちに重くのしかかっています。