JICA海外青年協力隊60年周年 最初の派遣先ラオスで記念式典 海外との懸け橋に
11/3(月) 18:07
国際協力機構=JICAが海外協力隊の派遣を始めてから今年で60周年を迎え、東南アジアのラオスでは、記念式典が開かれました。
東南アジアのラオス人民民主共和国。
JICAが海外協力隊員を最初に派遣した国です。
先月16日、首都ビエンチャンでは、派遣開始から60周年を記念する式典が行われ、JICAの協力隊員のほかラオス政府から外務大臣なども参加しました。
【JICA・田中明彦理事長】
「隊員たちは活動を通して、コミュニティや配属先の人々と喜怒哀楽をともにし、友情や信頼を醸成してきました。この長きにわたる人と人とのつながりの積み重ねは、各国と日本の信頼関係の醸成にもつながっています」
式典では、協力隊員とラオスの人たちが一緒にソーラン節などを披露し、会場は大いに盛り上がりました。
東南アジアのラオス人民民主共和国。
JICAが海外協力隊員を最初に派遣した国です。
先月16日、首都ビエンチャンでは、派遣開始から60周年を記念する式典が行われ、JICAの協力隊員のほかラオス政府から外務大臣なども参加しました。
【JICA・田中明彦理事長】
「隊員たちは活動を通して、コミュニティや配属先の人々と喜怒哀楽をともにし、友情や信頼を醸成してきました。この長きにわたる人と人とのつながりの積み重ねは、各国と日本の信頼関係の醸成にもつながっています」
式典では、協力隊員とラオスの人たちが一緒にソーラン節などを披露し、会場は大いに盛り上がりました。
これまでにJICAがラオスに派遣した隊員はあわせて1110人。
そのうちの1人で初代隊員だったのが大西規夫さんです。
式典にあわせて58年ぶりにラオスを訪れ、当時の活動先だった稲作試験場を見学しました。
【初代隊員・大西規夫さん】
「(ラオスでは)当時は雨が降るのを待って籾を直接まいていたんです。スコールで流されて成長せず収穫が期待できない。それで私は田植えに変えたんですね」
大西さんの任務は現地で稲の栽培試験を行い、ラオスの環境に適した品種の普及に取り組むことでした。
当時、その地域では田んぼに直接もみをまくやり方しかなく、日本のやり方がなかなか受け入れてもらえませんでした。
【大西規夫さん】
「(ラオスの人たちは)私は嫌ですと田んぼに入らず見ているだけです。私が一本一本(苗を)植えてデモンストレーションしていました」
そのうちの1人で初代隊員だったのが大西規夫さんです。
式典にあわせて58年ぶりにラオスを訪れ、当時の活動先だった稲作試験場を見学しました。
【初代隊員・大西規夫さん】
「(ラオスでは)当時は雨が降るのを待って籾を直接まいていたんです。スコールで流されて成長せず収穫が期待できない。それで私は田植えに変えたんですね」
大西さんの任務は現地で稲の栽培試験を行い、ラオスの環境に適した品種の普及に取り組むことでした。
当時、その地域では田んぼに直接もみをまくやり方しかなく、日本のやり方がなかなか受け入れてもらえませんでした。
【大西規夫さん】
「(ラオスの人たちは)私は嫌ですと田んぼに入らず見ているだけです。私が一本一本(苗を)植えてデモンストレーションしていました」
大西さんやそのほかの団体の支援活動によって、ラオスでは2000年ごろに米の国内自給を達成しました。
【初代隊員・大西規夫さん】
「60年前の協力がここまで実ったというのは、よくやったと自分自身に言いたい」
ラオスの発展に寄り添い続ける日本の隊員たち。
現在は48人が現地で奮闘しています。
《スタジオ》
新川さん、60年という月日の中で海外協力の形だとか、果たす役割に変化はあるんでしょうか?
【コメンテーター:JICA中国・新川美佐絵さん】
「あると思います。ただ昔から今も続けて言われているのが、2年間という非常に短い時間の中で目標を達成しつつ現地の人のやり方を否定しちゃいけないということを再三言われています。大西さんの時代は本当に情報が少ない中で大変なご苦労されたと思います。山内さんのお知り合いでも協力隊いかれた方がいらっしゃるんですね」
【コメンテーター:元カープ・山内泰幸さん】
「大学の同級生が野球を教えに中米のコスタリカとかアフリカのジンバブエなどに行って行って、2年間終わって帰った時に、いい経験をしたと言っていました」
【コメンテーター:JICA中国・新川美佐絵さん】
「現地の経験を自己研鑽とか自分の人生にだけじゃなくて、日本の公的ボランティアとして行ってるので、その知見を日本に帰って日本の課題解決や地域作りにどう活かすかというのを出発の頃から今の隊員さんは言われています。ラオスは勿論世界各国と信頼と友情でつなぐ活躍をしてほしい」
【初代隊員・大西規夫さん】
「60年前の協力がここまで実ったというのは、よくやったと自分自身に言いたい」
ラオスの発展に寄り添い続ける日本の隊員たち。
現在は48人が現地で奮闘しています。
《スタジオ》
新川さん、60年という月日の中で海外協力の形だとか、果たす役割に変化はあるんでしょうか?
【コメンテーター:JICA中国・新川美佐絵さん】
「あると思います。ただ昔から今も続けて言われているのが、2年間という非常に短い時間の中で目標を達成しつつ現地の人のやり方を否定しちゃいけないということを再三言われています。大西さんの時代は本当に情報が少ない中で大変なご苦労されたと思います。山内さんのお知り合いでも協力隊いかれた方がいらっしゃるんですね」
【コメンテーター:元カープ・山内泰幸さん】
「大学の同級生が野球を教えに中米のコスタリカとかアフリカのジンバブエなどに行って行って、2年間終わって帰った時に、いい経験をしたと言っていました」
【コメンテーター:JICA中国・新川美佐絵さん】
「現地の経験を自己研鑽とか自分の人生にだけじゃなくて、日本の公的ボランティアとして行ってるので、その知見を日本に帰って日本の課題解決や地域作りにどう活かすかというのを出発の頃から今の隊員さんは言われています。ラオスは勿論世界各国と信頼と友情でつなぐ活躍をしてほしい」
