沿道で市民も歓迎 天皇皇后両陛下 平和公園へ ある市民の特別な思い「優しいまなざしをもう一度」
6/19(木) 16:29
両陛下をお迎えしようと広島市内では、多くの人が沿道に詰めかけました。
広島市内中心部には辰已さんがいます。
【辰已アナ】
平和公園を北に抜けた相生橋からお伝えしていきます。現在のこの場所は警察車両が何台も停まっているといった状況です。午前中にこの場所に来たときも警察官の方、たくさんいまして、中には埼玉県警、栃木県警といった制服を着ていましたので、全国から広島に集まって警備体制を敷いているというわけなんですね。
そうした体制がとられている広島市に午前中に両陛下がご到着されて、ホテルに向かわれましたが、その場所にも私おりまして、そこでは沿道に集まった皆さん本当に様々な声が聞かれました。中には、両陛下のご家族が沖縄をご訪問された際にいたという家族の話も聞いていたので、今回は自分もこの目で見たいというふうに言いながら待っている方もいらっしゃいました。
【沿道の人は】
「今日何時くらいから来た?11時くらいです」
Q:1時間経ちますね?
「1時間以上(待ってます)」
≪両陛下の車が通過≫
「待ったかいがありました。やっぱり違いますね高貴な方は」
「雅子さまの笑顔が素敵でした。朝早くから来たかいがありました」
Q:一瞬でしたが?
「一瞬でしたね。原爆のことがあるので一度はちゃんと来て見ていただきたかった色々のことを知っていただけることはうれしいです」
広島市内中心部には辰已さんがいます。
【辰已アナ】
平和公園を北に抜けた相生橋からお伝えしていきます。現在のこの場所は警察車両が何台も停まっているといった状況です。午前中にこの場所に来たときも警察官の方、たくさんいまして、中には埼玉県警、栃木県警といった制服を着ていましたので、全国から広島に集まって警備体制を敷いているというわけなんですね。
そうした体制がとられている広島市に午前中に両陛下がご到着されて、ホテルに向かわれましたが、その場所にも私おりまして、そこでは沿道に集まった皆さん本当に様々な声が聞かれました。中には、両陛下のご家族が沖縄をご訪問された際にいたという家族の話も聞いていたので、今回は自分もこの目で見たいというふうに言いながら待っている方もいらっしゃいました。
【沿道の人は】
「今日何時くらいから来た?11時くらいです」
Q:1時間経ちますね?
「1時間以上(待ってます)」
≪両陛下の車が通過≫
「待ったかいがありました。やっぱり違いますね高貴な方は」
「雅子さまの笑顔が素敵でした。朝早くから来たかいがありました」
Q:一瞬でしたが?
「一瞬でしたね。原爆のことがあるので一度はちゃんと来て見ていただきたかった色々のことを知っていただけることはうれしいです」
【辰已アナ】
皆さん特別な思い様々な思いを持って沿道に詰めかけていたんですけれども、その中にいた男性は30年以上前に天皇陛下とお会いしたことがありました。
その姿を一目見ようと多くの人が詰めかけた沿道で両陛下を特別の思いで待つ男性。
藤岡操さん、72歳。
藤岡さんには、忘れられない陛下の思い出がありました。
1994年10月に開催された広島アジア大会。
名誉総裁を務められた当時、皇太子だった天皇陛下が、藤岡さんが勤務する広島空港内のレストランに立ち寄られたのです。
【藤岡操さん(72)】
「当日は白い手袋をしてお茶を差し上げる。その時に何度もチェックをして不手際がないようにしたのですが、お茶を差し上げる直前に茶碗のふたに指紋がつているのが見えた。思わず白手袋で拭いてお茶を差し上げた。その時目が合ったんですが、優しく見ていただきました」
被爆80年の今年。
10年前、84歳で亡くなった藤岡さんの父に思いを馳せながら、きょう、ここに来ました。
【藤岡操さん(72)】
「父も被爆者なので父も(天皇陛下に)来てもらったら喜んでいると思います。アジア大会の時に(陛下の)まなざしがやさしかったことが未だ心の中にあるので、ぜひそのまなざしをもう一度見られたらという気持ちで待っています」
皆さん特別な思い様々な思いを持って沿道に詰めかけていたんですけれども、その中にいた男性は30年以上前に天皇陛下とお会いしたことがありました。
その姿を一目見ようと多くの人が詰めかけた沿道で両陛下を特別の思いで待つ男性。
藤岡操さん、72歳。
藤岡さんには、忘れられない陛下の思い出がありました。
1994年10月に開催された広島アジア大会。
名誉総裁を務められた当時、皇太子だった天皇陛下が、藤岡さんが勤務する広島空港内のレストランに立ち寄られたのです。
【藤岡操さん(72)】
「当日は白い手袋をしてお茶を差し上げる。その時に何度もチェックをして不手際がないようにしたのですが、お茶を差し上げる直前に茶碗のふたに指紋がつているのが見えた。思わず白手袋で拭いてお茶を差し上げた。その時目が合ったんですが、優しく見ていただきました」
被爆80年の今年。
10年前、84歳で亡くなった藤岡さんの父に思いを馳せながら、きょう、ここに来ました。
【藤岡操さん(72)】
「父も被爆者なので父も(天皇陛下に)来てもらったら喜んでいると思います。アジア大会の時に(陛下の)まなざしがやさしかったことが未だ心の中にあるので、ぜひそのまなざしをもう一度見られたらという気持ちで待っています」