アメリカの大学生が伝える平和への思い 被爆者から繋いだバトン 「原爆の恐ろしさを沢山の人に伝えたい」

9/4(水) 21:00

特集は被爆80年に向けた「つたえる・つなげる」被爆の継承を考えます。
今回は、アメリカの大学で新たに取り組む継承活動に注目しました。
アメリカの若者たちが届けるメッセージとは?

先月、3人のアメリカの大学生が広島空港にやってきました。

【アイダホ大学生:チャドウィック・グッダルさん】
「ここに来られてとても興奮してるよ」
【アイダホ大学生:パーカー・ハンセンさん】
「今は寝たいです」

アメリカの北西部アイダホ大学の学生たち。
初めての広島訪問です。
彼らを率いるのは、日本語講師の東條梓さん。
東條さんには忘れられない大切な人がいます。
小倉桂子さん。
英語で証言できる数少ない被爆者です。
東京で育った東條さん。
7年前ニューヨークで聞いた小倉さんの証言がずっと忘れられませんでした。

【アイダホ大学日本語講師・東條梓さん】
「全然知らなかったなぁと衝撃を受けた。その時に日本人として知らなかったことを後悔した。それと同時に、海外に住んでいるからこそできることがあるんじゃないかと」

そして、2年前。
自分の職場アイダホ大学でも被爆の実相を伝えようと小倉さんに被爆証言を依頼しました。

【東條 梓さん】
「小倉さんに来ていただいて、話をしてもらうというのは、すごく大きな意味があるのではないかなと思います」

小倉さんは、東條さんが教える日本語クラスの学生や、町の小学校で子供たちにも被爆証言をしました。
当時すでに85歳。
高齢をおして伝えます。

【被爆者・小倉桂子さん】
「大勢の人々がやってきたが、顔がひどく焼けただれ、まるで幽霊やゾンビのようだった」

原爆によって戦争が終わり、多くの命が救われたと教わってきたアメリカの人たち。
その多くが初めて知る現実でした。

【被爆者・小倉桂子さん】
「次の世代の子供たちを核戦争に巻き込みたくない。共に取り組みましょう」

それは確実に、共感を呼び広がっていきました。

【東條 梓さん】
「私自身も、日本語教育で平和教育って何ができるかを考えるきっかけになりました。根本にあるのは、ほかの違うものを受け入れて理解をしていくということですよね。それって語学の教育の中でもっと深くできるんじゃないかなと思うんです」

語学の学びの中での平和教育、あまりされてこなかった取り組みです。
東條さんは、日本語の授業で、学生による広島の被爆証言の英訳を始めました。
今年度取り組んだ題材は、「原爆市長」と呼ばれた元広島市長の浜井信三さん。
浜井さんは、広島市の職員だったときに被爆。
当時の被爆証言が残されていました。

【故 浜井信三さん】
「頭から血を浴びて真っ赤になっている人がたくさん」

浜井さんが被爆後見た広島の町は、悲惨なものでした。
その後、浜井さんは焼野原となった広島の復興に尽くし、広島市長として今も続く平和記念式典につながる第一回平和祭を開くなど復興の礎を築きました。

【故 浜井信三さん】
「もうこんな兵器ができた以上、もう戦争は二度とやったらいけんだろうと」

浜井さんの残されたメッセージと活動の英訳に13人の学生が、取り組みました。
活動を通し被爆の実相を知っていきます。
その代表3人が、今回、実際に広島を訪れたのです。

【アイダホ大学生:カルヴィン・データーさん】
「今回、浜井さんという一人の人間の悲惨な経験と感情を知って、数字の大きさによる被害だけでない悲劇を知った」

【東條 梓さん】
「本当に頑張って読んだんですよ。いろんなものを受け止めたと思います」

この日訪れたのは東條さんが、学生にどうしても見せたかった原爆資料館です。
大学の日本語クラスの机の上で学んだことを、実感として受け止めてほしいと願っていました。

【カルヴィン・データーさん】
「もし自分がそこにいたらと思うと自分だったら耐えられなかったと思うし想像を絶する」

【チャドウィック・グッダルさん】
「これからも日本語をもっと勉強して、将来にわたり広島のメッセージを伝え続ける能力を身に着けたい」

今回、学生が来日できたのは、アイダホ大学の活動を知った洋菓子メーカーバッケンモーツアルトがサポートしたからでした。
この日、そのカフェで学生が発表する場が設けられることになったのです。
そこにもまた継承への想いありました。

【国際会議場内バッケンモーツァルトカフェ・加藤義幸店長】
「弊社の田上社長の両親が被爆していて、広島で生まれ育ったものとしてやはり平和のイベントについて、何か貢献できることはないかと」

国を越え、被爆の継承を願う様々な人の想いが集まり実現した発表です。

【東條 梓さん】
「被爆の恐ろしさ、平和の大切さを日本語で理解し、それを自国の言葉で言い換えて発信していく彼らの想いが皆さんの心に届くことを願っています」

翻訳した浜井信三さんの映像を届けるとともに、浜井さんを通して学んだ被爆の実相や復興への歩みを英語を中心に外国の人に伝えました。

【パーカー・ハンセンさん】
「幹線道路の両側からうめき声が波のように続き、浜井氏はその時の光景を後に道端の地獄絵と表現した」

聞く人には初めて知ることばかりです。
会場では、浜井信三さんの長男の順三さん、そして小倉さんも駆け付けていました。

【パーカー・ハンセンさん】
「過去を忘れ、平和を当然と思うのは簡単だが、原爆の悲劇を忘れてはならない」
「たくさんの人はこの話を知るべきです」

【カルヴィン・データーさん】
「子供の時、私は嵐が怖かったです。でも今、人間の残酷さのほうが嵐より恐ろしいと思います。原爆の恐ろしさをたくさんの人に伝えたい」

【浜井順三さん】
「国をこえて活動がひろがっていく。それの一つのアプローチの道筋を示してくれたと思うので、素晴らしいと思う」

【小倉桂子さん】
「あなたたちが今回したことはすごい意味がある。どうぞ世界中に世界の隅々まで影響を与えてください」

【東條 梓さん】
「これで終わりにしたくないですね。被爆者の方に私たち頼ってきたことがあると思うが、自分のできることを探して続けていかないといけない」

学生たちは帰国後、現地の高校などさらに若い世代へ、伝える予定です。
語学の学びを通し平和の輪を広げる。
あたらしい挑戦は始まったばかりです。