被爆100年を見据えたまちづくり始動 「平和の軸線」どう生かす 平和を創り出すヒロシマ
8/4(火) 19:08
原爆の日を前に、ライクでは「つたえる つなげる 平和への一歩」と題してお伝えしています。
今回は被爆100年を見据えたまちづくりについて考えます。
キーワードは「平和の軸線」です。
先月、文化人や経済人など幅広い分野の有識者が、被爆100年に向けたまちづくりについて検討する、新たな場が設けられました。
「広島市平和文化のまちづくり懇談会」です。
【広島市平和文化のまちづくり懇談会 座長 松井一実 市長】
世界に平和を発信し続けるための中長期的なあり方、それを「まちづくり」にどう反映させるか
今回は被爆100年を見据えたまちづくりについて考えます。
キーワードは「平和の軸線」です。
先月、文化人や経済人など幅広い分野の有識者が、被爆100年に向けたまちづくりについて検討する、新たな場が設けられました。
「広島市平和文化のまちづくり懇談会」です。
【広島市平和文化のまちづくり懇談会 座長 松井一実 市長】
世界に平和を発信し続けるための中長期的なあり方、それを「まちづくり」にどう反映させるか
メンバーにはまちなかスタジアムの建設に尽力した、エディオンの久保允誉会長の姿もありました。
【エディオン 久保允誉 会長】
私の母が言ったのは
「職人さんも全部亡くなってしまった。親戚・家族みんな亡くなってしまった。
そういう犠牲の中で、あなたは今いるんだよ。広島があるんだよ。
だから平和の心を持ちなさい」
大きな犠牲の上に今があること、それを伝えていく使命があると母から繰り返し聞かされたと言います。
広島に来れば「本当にここに原爆が落とされた」ということが実感できる。
懇談会の立ち上げに奔走した、広島平和文化センターの谷史郎副理事長は今後の議論に期待を寄せます。
【広島平和文化センター 谷史郎 副理事長】
資料館や広島は人類の財産です。次の世代に必ず引き継がなければいけないと思います。
世界中の人が広島に集まって「平和とにぎわい」のあふれる、そういう「まちづくり」を議論いただきます
【エディオン 久保允誉 会長】
私の母が言ったのは
「職人さんも全部亡くなってしまった。親戚・家族みんな亡くなってしまった。
そういう犠牲の中で、あなたは今いるんだよ。広島があるんだよ。
だから平和の心を持ちなさい」
大きな犠牲の上に今があること、それを伝えていく使命があると母から繰り返し聞かされたと言います。
広島に来れば「本当にここに原爆が落とされた」ということが実感できる。
懇談会の立ち上げに奔走した、広島平和文化センターの谷史郎副理事長は今後の議論に期待を寄せます。
【広島平和文化センター 谷史郎 副理事長】
資料館や広島は人類の財産です。次の世代に必ず引き継がなければいけないと思います。
世界中の人が広島に集まって「平和とにぎわい」のあふれる、そういう「まちづくり」を議論いただきます
戦後、整備された平和公園と原爆資料館。
設計を手掛けたのは、世界的建築家丹下健三さんです。
1949年に行われた平和公園と平和記念館のコンペで、130にも上る応募の中から選ばれました。
設計案から浮かび上がってくるのが原爆資料館から慰霊碑、原爆ドームまで一直線に伸びる南北の軸線。
アーチ型の慰霊碑の先に原爆の悲惨さを伝える原爆ドームが見えるよう、計算されています。
いわゆる「平和の軸線」です。
2006年に原爆資料館が戦後建築として、初めて国の重要文化財に指定された際には「平和大通りから資料館のピロティ、慰霊碑のアーチを経て、原爆ドームへと延びる眺めは慰霊と恒久平和への願いを表現するもので、丹下氏の優れた空間意匠と構成が読み取れる」と高く評価されました。
設計を手掛けたのは、世界的建築家丹下健三さんです。
1949年に行われた平和公園と平和記念館のコンペで、130にも上る応募の中から選ばれました。
設計案から浮かび上がってくるのが原爆資料館から慰霊碑、原爆ドームまで一直線に伸びる南北の軸線。
アーチ型の慰霊碑の先に原爆の悲惨さを伝える原爆ドームが見えるよう、計算されています。
いわゆる「平和の軸線」です。
2006年に原爆資料館が戦後建築として、初めて国の重要文化財に指定された際には「平和大通りから資料館のピロティ、慰霊碑のアーチを経て、原爆ドームへと延びる眺めは慰霊と恒久平和への願いを表現するもので、丹下氏の優れた空間意匠と構成が読み取れる」と高く評価されました。
丹下の構想では「平和の軸線」の延長線上、現在の中央公園や市営基町高層アパートのエリアに、文化スポーツ施設が配置されていました。
都市の復興を考える際に、文化やスポーツの果たす役割を重視していたのです。
その構想の一部が2024年2月に実現。
「エディオンピースウイング広島」の完成です。
サッカースタジアムの建設地を巡っては様々な意見が出る中、一貫して「まちなかスタジアム」を目指してきたのが、エディオンの久保允誉会長でした。
原点には1957年に完成した、旧広島市民球場の思い出があります。
【エディオン 久保允誉 会長】
すごい声援なんですね。スポーツを通じて、また明るい、未来に向けて進んでいくというね、そういう気持ちがすごくあったんですね。スポーツのにぎわいがまたサッカーを通じて、まあできたというのは本当に私自身も感無量ですね
都市の復興を考える際に、文化やスポーツの果たす役割を重視していたのです。
その構想の一部が2024年2月に実現。
「エディオンピースウイング広島」の完成です。
サッカースタジアムの建設地を巡っては様々な意見が出る中、一貫して「まちなかスタジアム」を目指してきたのが、エディオンの久保允誉会長でした。
原点には1957年に完成した、旧広島市民球場の思い出があります。
【エディオン 久保允誉 会長】
すごい声援なんですね。スポーツを通じて、また明るい、未来に向けて進んでいくというね、そういう気持ちがすごくあったんですね。スポーツのにぎわいがまたサッカーを通じて、まあできたというのは本当に私自身も感無量ですね
こだわったのがスタジアムの名称です。
【エディオン 久保允誉 会長】
ピースウイング。やっぱり平和を発信する、世界に発信するということで、ピースウイングという、その名前をね
久保会長のこだわりが表れているというエリアに案内してくれました。
人気漫画「キャプテン翼」の巨大壁画。
主人公・大空翼選手が広島から「サッカー世界平和宣言」を発信しています。
【エディオン 久保允誉 会長】
ここもこういう風な焼け野原になって、そして今のここはこうあるんだよっていうのは、この壁画だけ見てもね、分かっていただけるんじゃないかな
【エディオン 久保允誉 会長】
ピースウイング。やっぱり平和を発信する、世界に発信するということで、ピースウイングという、その名前をね
久保会長のこだわりが表れているというエリアに案内してくれました。
人気漫画「キャプテン翼」の巨大壁画。
主人公・大空翼選手が広島から「サッカー世界平和宣言」を発信しています。
【エディオン 久保允誉 会長】
ここもこういう風な焼け野原になって、そして今のここはこうあるんだよっていうのは、この壁画だけ見てもね、分かっていただけるんじゃないかな
若い世代も動き出しています。
6月には広島の復興の歴史を、まちづくりの視点で見つめ直し、未来の広島を考えるシンポジウムも開かれました。
参加したのは都市計画などを学ぶ学生やまちづくりに関わる民間企業、行政の職員など多岐にわたります。
【参加者】
「『平和の軸線』っていう平和記念公園の整備の仕方だったりとか、色んな観点からの空間整備がされているかな」
「歴史的な建物もありつつ、でも新しいのと古い建物が共存しているところが特徴的かな」
6月には広島の復興の歴史を、まちづくりの視点で見つめ直し、未来の広島を考えるシンポジウムも開かれました。
参加したのは都市計画などを学ぶ学生やまちづくりに関わる民間企業、行政の職員など多岐にわたります。
【参加者】
「『平和の軸線』っていう平和記念公園の整備の仕方だったりとか、色んな観点からの空間整備がされているかな」
「歴史的な建物もありつつ、でも新しいのと古い建物が共存しているところが特徴的かな」
平和公園を単なる慰霊施設ではなく、「平和を創り出す工場」と位置付けた丹下健三。
若い世代は、今、改めて、「平和」の概念を見つめなおそうとしています。
【研究に参加する学生】
戦後80年どんどん100年を迎えていくような中で、これまでの概念の平和と、これから自分たちがつないでいく平和という考え方は違うかなと思うので、よりたくさんの人が集まっていただけることによって、広島の平和というものがどんどんブラッシュアップしていけるのではないかなと考えています。
若い世代は、今、改めて、「平和」の概念を見つめなおそうとしています。
【研究に参加する学生】
戦後80年どんどん100年を迎えていくような中で、これまでの概念の平和と、これから自分たちがつないでいく平和という考え方は違うかなと思うので、よりたくさんの人が集まっていただけることによって、広島の平和というものがどんどんブラッシュアップしていけるのではないかなと考えています。
丹下健三はこう述べています。
「平和は訪れて来るものではなく、闘いとらなければならないものである。
平和は自然からも神からも与えられるものではなく、人々が実践的に創り出してゆくものである」
「平和は訪れて来るものではなく、闘いとらなければならないものである。
平和は自然からも神からも与えられるものではなく、人々が実践的に創り出してゆくものである」
世界で初めて原子爆弾が投下されたヒロシマの地で、今、わたしたちに突きつけられている課題です。
