【広島あの日のきょう】昭和の風情が残る飲み屋街 通称「なめくじ横丁」 姿を消す(1985年)
12/17(水) 17:56
「あの日のきょうにずきゅん」
テレビ新広島、放送50年の歴史の中から、あの日のニュースを振り返ります。
今から40年前の1985年12月、戦後の昭和の風情が残る広島市の飲み屋街通称「なめくじ横丁」が地上げにより消えようとしていました。
テレビ新広島、放送50年の歴史の中から、あの日のニュースを振り返ります。
今から40年前の1985年12月、戦後の昭和の風情が残る広島市の飲み屋街通称「なめくじ横丁」が地上げにより消えようとしていました。
「なめくじ横丁」は広島市中区立町の一角にあり、幅1メートルほどの狭い路地に十軒余りの飲み屋が軒を並べていました。
ひとり2千円も出せば十分飲んで食べられることから「湿気は多いが気軽に入れる一角」として「なめくじ横丁」の愛称がつけられ、サラリーマンを中心に長く親しまれていました。
ところが、この年の初めに、横丁を含めた土地にビルの建設が計画され、土地の買収、地上げが進められていました。
ところが、この年の初めに、横丁を含めた土地にビルの建設が計画され、土地の買収、地上げが進められていました。
「よく飲みに来るんですけどね。やっぱり残してほしいですね。この筋ってのはね、やっぱり欲しいですよ」
「僕らこの店でうっぷん晴らしてますから、なくなったら困るんですよ」
「この雰囲気の中で飲んでるからおもろいんです。だから絶対なくなったら困ります。残してください」
戦後の焼け跡にできたバラック街に飲食店が集まってできたなめくじ横丁。
次々と店が立ち退いていく中、一部で強引な地上げもあったと言われ、1980年代の終わりには更地となりました。
「僕らこの店でうっぷん晴らしてますから、なくなったら困るんですよ」
「この雰囲気の中で飲んでるからおもろいんです。だから絶対なくなったら困ります。残してください」
戦後の焼け跡にできたバラック街に飲食店が集まってできたなめくじ横丁。
次々と店が立ち退いていく中、一部で強引な地上げもあったと言われ、1980年代の終わりには更地となりました。
