「あの日、被爆したアメリカ兵もいた…」歴史研究家 森重昭さんが語る平和のメッセージとは…

10/30(木) 18:00

平和誓う手形♯38 今回は、被爆米兵の足跡を後世に残そうと取り組んだ、歴史研究家の森重昭さんです。

森さんは、8歳のとき、広島市の己斐町で被爆しました。

2016年には、広島を訪問したアメリカのオバマ元大統領に面会。

被爆当時、捕虜だったアメリカ兵12人も原爆で犠牲になったと知った森さんは、たった1人で、約40年をかけ捕虜の遺族を調べました。

家族の最期を知った被爆米兵の遺族は、森さんに感謝し、その交流は今も続いています。

今も調査を続ける森重昭さんが手形に込める平和のメッセージは?

【森重昭さん】
「平和が一番!これを決めたのは被爆死した米兵の搭乗していた飛行機の機長トーマスカートライトさんと私が30年にわたって手紙のやりとりを約100通しました」

「2人で後世に残そうと2人で出した結論。その言葉です」

「私は爆心地から2.5キロの距離で被爆しまして、この恐ろしさは実際に受けたものでないとわからないと。今、原子爆弾の性能がずいぶんあがってきまして原爆を使わせるような戦争はもう2度とないことを願います。核兵器の恐ろしさを知ることです。それ以上はありません。これを後世の人に知ってもらいたいとつくづくそう思います」

「つたえるつなげるヒロシマ・ナガサキ」