被爆伝承者を目指す中学教師「絶対、核と人類は共存できない」思いをできるだけ多くの人に
10/14(火) 20:00
現役の中学校教員として働きながら、被爆した家族の歴史を伝えようと伝承者を目指す女性がいます。その思いにせまりました。
広島県・府中町立府中中学校(先月11日)
休み時間、生徒の賑やかな声が響くなか、教室に大急ぎでやってきたのは…
「お願いします」
「Good morning everyone」
「Good morning」
沓木里栄(くつき・りえ)先生、英語を教えています。
生徒と対話しながら授業するのが沓木先生のスタイル。
先生の印象を聞いてみると…
休み時間、生徒の賑やかな声が響くなか、教室に大急ぎでやってきたのは…
「お願いします」
「Good morning everyone」
「Good morning」
沓木里栄(くつき・りえ)先生、英語を教えています。
生徒と対話しながら授業するのが沓木先生のスタイル。
先生の印象を聞いてみると…
【生徒】
「永遠の18歳」
【ディレクター】
「それは先生が言っている?」
【生徒】
「はい、先生が言っています」
【生徒】
「先生何歳ですか?」
【沓木先生】
「17歳!」
みんなから愛される沓木先生。授業以外の時間も生徒1人1人と向き合います。
【沓木里栄先生】
Q:教員生活何年目?
「何年目だろう…わかんない」
Q:15年は経っている?
「経っています。20年かな」
Q:生徒への思いが溢れている
「思いが溢れてるかどうかは分からないけど、どんどん変化して、どんどん吸収して成長していくのを見られるのが面白い」
20年以上にわたる教員生活の中で、沓木先生はある取り組みに力を注いできました。
【沓木里栄先生】
「平和に関わることの課題は被爆者がどんどんいなくなること」
「永遠の18歳」
【ディレクター】
「それは先生が言っている?」
【生徒】
「はい、先生が言っています」
【生徒】
「先生何歳ですか?」
【沓木先生】
「17歳!」
みんなから愛される沓木先生。授業以外の時間も生徒1人1人と向き合います。
【沓木里栄先生】
Q:教員生活何年目?
「何年目だろう…わかんない」
Q:15年は経っている?
「経っています。20年かな」
Q:生徒への思いが溢れている
「思いが溢れてるかどうかは分からないけど、どんどん変化して、どんどん吸収して成長していくのを見られるのが面白い」
20年以上にわたる教員生活の中で、沓木先生はある取り組みに力を注いできました。
【沓木里栄先生】
「平和に関わることの課題は被爆者がどんどんいなくなること」
広島市出身の沓木先生、父親は被爆者です。
高校までを広島で過ごし、大学は同じ被爆地である長崎の大学へ進みました。
【沓木里栄先生】
「平和に関わることはずっとやりたいなと思っていたので、いったん(広島から)出たかったけど、広島には帰ってきたいと思いながら、長崎だったら同じ被爆地で、また違う視点で勉強できるかなと思った」
大学で教員免許を取得し、広島に戻りましたが、進んだのは意外な道でした。
高校までを広島で過ごし、大学は同じ被爆地である長崎の大学へ進みました。
【沓木里栄先生】
「平和に関わることはずっとやりたいなと思っていたので、いったん(広島から)出たかったけど、広島には帰ってきたいと思いながら、長崎だったら同じ被爆地で、また違う視点で勉強できるかなと思った」
大学で教員免許を取得し、広島に戻りましたが、進んだのは意外な道でした。
【沓木里栄先生】
「大学卒業後は企業に就職しました」
Q:どんな仕事を?
「広報部にいました。5年8ヶ月ぐらい。社内の記事になりそうな話題を歩いて探しながら取材していた。でもやっぱり一生できる仕事に就きたいという思いがずっとあって、教員もやりたいと思っていたのでチャンスがあったらやめようと」
そのチャンスがめぐってきました。
【沓木里栄先生】
「臨時採用のポストがあるっていうのを聞いて他の方が産休、育休に入る代わりの代用教員」
「大学卒業後は企業に就職しました」
Q:どんな仕事を?
「広報部にいました。5年8ヶ月ぐらい。社内の記事になりそうな話題を歩いて探しながら取材していた。でもやっぱり一生できる仕事に就きたいという思いがずっとあって、教員もやりたいと思っていたのでチャンスがあったらやめようと」
そのチャンスがめぐってきました。
【沓木里栄先生】
「臨時採用のポストがあるっていうのを聞いて他の方が産休、育休に入る代わりの代用教員」
しかし、思うような平和教育は出来なかったといいます。
その後は南米へ行きボランティアとして活動。
帰国後は大学院で在外被爆者について研究し学んできました。そして2004年、正規の中学校教員に。
府中中学校への赴任後は平和教育に力を注ぎます。
その後は南米へ行きボランティアとして活動。
帰国後は大学院で在外被爆者について研究し学んできました。そして2004年、正規の中学校教員に。
府中中学校への赴任後は平和教育に力を注ぎます。
≪黙とう≫
長崎原爆の日、2022年からは県内の中学校では珍しく、長崎原爆の日を登校日とし全校で討論会を開催しました。
≪黙とう≫
沖縄慰霊の日、今年は「沖縄戦」の慰霊の日である6月23日にも平和学習の機会を作るなど、生徒と一緒に平和を考えることをモットーにしています。
【沓木里栄先生】
「平和について考えるときに一番ネックなのが、より自分のこととして捉えることをずっと課題だと思っている。自分に何か関わる人に関係する事柄ができたら、自分ごとに近くなるんじゃないか」
被爆80年の今年、沓木先生はある活動をスタートさせました。
【沓木里栄先生】
「やっぱりちょっと照れくさいというか本当にいいのかな」
現役の教員でありながら、同時に“被爆伝承者”を目指したい…。
この日は初めての証言、話す相手は教え子たちです。
≪証言の様子≫
「きょうはアキラちゃんのこと、私の家族のことを話します」
沓木明さん被爆当時13歳。
沓木先生の叔父にあたり、あの日、学徒動員で建物疎開作業をしていました。
≪証言の様子≫
「爆心地から500mくらい(現在の中区小網町)だと聞いていた。その日の朝もいつも通り元気よく『行ってきます』と言って出て行ったそうです。それが最後」
1945年8月6日午前8時15分
長崎原爆の日、2022年からは県内の中学校では珍しく、長崎原爆の日を登校日とし全校で討論会を開催しました。
≪黙とう≫
沖縄慰霊の日、今年は「沖縄戦」の慰霊の日である6月23日にも平和学習の機会を作るなど、生徒と一緒に平和を考えることをモットーにしています。
【沓木里栄先生】
「平和について考えるときに一番ネックなのが、より自分のこととして捉えることをずっと課題だと思っている。自分に何か関わる人に関係する事柄ができたら、自分ごとに近くなるんじゃないか」
被爆80年の今年、沓木先生はある活動をスタートさせました。
【沓木里栄先生】
「やっぱりちょっと照れくさいというか本当にいいのかな」
現役の教員でありながら、同時に“被爆伝承者”を目指したい…。
この日は初めての証言、話す相手は教え子たちです。
≪証言の様子≫
「きょうはアキラちゃんのこと、私の家族のことを話します」
沓木明さん被爆当時13歳。
沓木先生の叔父にあたり、あの日、学徒動員で建物疎開作業をしていました。
≪証言の様子≫
「爆心地から500mくらい(現在の中区小網町)だと聞いていた。その日の朝もいつも通り元気よく『行ってきます』と言って出て行ったそうです。それが最後」
1945年8月6日午前8時15分
≪証言の様子≫
「(被爆後の)状況を広島市立中学校(現在の基町高校)の同窓会が発行している手記の中に祖父が書いているので、読んでみたいと思います。『市中生はいませんか手を挙げてくださいと叫び回ったところ手が上がり、(同級生が)こう言った。沓木君は僕の隣で作業をしていた。ピカッと光った時、僕はすぐ伏せた。その時、沓木君はまだ立っていた。起きてみたら真っ暗で沓木君の姿が見えず、僕は己斐に向かって逃げた。その中に沓木君はいなかった』」
「(被爆後の)状況を広島市立中学校(現在の基町高校)の同窓会が発行している手記の中に祖父が書いているので、読んでみたいと思います。『市中生はいませんか手を挙げてくださいと叫び回ったところ手が上がり、(同級生が)こう言った。沓木君は僕の隣で作業をしていた。ピカッと光った時、僕はすぐ伏せた。その時、沓木君はまだ立っていた。起きてみたら真っ暗で沓木君の姿が見えず、僕は己斐に向かって逃げた。その中に沓木君はいなかった』」
いつもとは違う先生の姿、思いは生徒たちの心に響きます。
【府中中学1年 廣兼大悟さん】
「いつもすごくポジティブに話す先生ですが、こういう場で自分の家族のこと、悲しかったことについて、正確に話してくれた。違う一面などを知れた」
【府中中学1年 廣兼大悟さん】
「いつもすごくポジティブに話す先生ですが、こういう場で自分の家族のこと、悲しかったことについて、正確に話してくれた。違う一面などを知れた」
【府中中学1年 中川志歩さん】
「今の現実ではありえないような事が起こっていたので、胸がとても苦しくなりました。伝承者と先生を(両立して)一緒にやることはすごいと思う」
被爆体験のある家族はすでに亡くなっているため、沓木先生は広島市が認定する家族伝承者になることはできません。
それでも『言葉で伝える』ことに意味があると感じています。
【沓木里栄先生】
「絶対、絶対、核と人類は共存できないと本当に思う。その思いは一人でも多くの人に知ってもらいたい」
先月下旬…初めて公の場で語る機会がやってきました。
【沓木里栄先生】
Q:どんな心境?
「ドキドキしています。被爆をした叔父さんが帰ってこなかったことへの家族の想いや関わる方の思いを上手く伝えたい」
「怒り」「苦しみ」「悲しみ」「憤り」家族や仲間が抱えてきた無念の想いを伝えます。
「今の現実ではありえないような事が起こっていたので、胸がとても苦しくなりました。伝承者と先生を(両立して)一緒にやることはすごいと思う」
被爆体験のある家族はすでに亡くなっているため、沓木先生は広島市が認定する家族伝承者になることはできません。
それでも『言葉で伝える』ことに意味があると感じています。
【沓木里栄先生】
「絶対、絶対、核と人類は共存できないと本当に思う。その思いは一人でも多くの人に知ってもらいたい」
先月下旬…初めて公の場で語る機会がやってきました。
【沓木里栄先生】
Q:どんな心境?
「ドキドキしています。被爆をした叔父さんが帰ってこなかったことへの家族の想いや関わる方の思いを上手く伝えたい」
「怒り」「苦しみ」「悲しみ」「憤り」家族や仲間が抱えてきた無念の想いを伝えます。
≪証言の様子≫
「帰りたくても帰れなかった明ちゃん。思い出すのは嫌だと言いながらも明ちゃんを探す我々家族のことを思って、あの日のことを語ってくださった方々、そのようなさまざまな思いを想像し、寄り添い、くみ取っていくことが帰ってこなかった意味を受け止めていくことではないのかなと思う」
会場には沓木先生の家族の姿も
【沓木先生の次女・沓木理沙さん】
Q:二刀流の活躍をどう思う?
「かっこいいです。私も今まで知らなかったし、知ろうともしてこなかった。聞かなかった。これからは母と一緒にもっと知れたらなって」
「帰りたくても帰れなかった明ちゃん。思い出すのは嫌だと言いながらも明ちゃんを探す我々家族のことを思って、あの日のことを語ってくださった方々、そのようなさまざまな思いを想像し、寄り添い、くみ取っていくことが帰ってこなかった意味を受け止めていくことではないのかなと思う」
会場には沓木先生の家族の姿も
【沓木先生の次女・沓木理沙さん】
Q:二刀流の活躍をどう思う?
「かっこいいです。私も今まで知らなかったし、知ろうともしてこなかった。聞かなかった。これからは母と一緒にもっと知れたらなって」
【沓木里栄先生】
「被爆体験をされた方は本当に思い出すのも辛い、それを押して、でも語らなければいけないとか、伝えたいと思っているところをくみ取っていないと、体験していない者は被爆の悲惨さをつかめない。私自身も、もっと掘り下げてチャンスがあるなら、お話しできたらなと思う」
被爆者である家族と向き合ってきた「被爆2世」だからこそ、語り継ぎたい“想い”があります。
「被爆体験をされた方は本当に思い出すのも辛い、それを押して、でも語らなければいけないとか、伝えたいと思っているところをくみ取っていないと、体験していない者は被爆の悲惨さをつかめない。私自身も、もっと掘り下げてチャンスがあるなら、お話しできたらなと思う」
被爆者である家族と向き合ってきた「被爆2世」だからこそ、語り継ぎたい“想い”があります。