子育てアドバイス

【よくある相談シリーズ】AI時代でも英語を学ばせるべきでしょうか?

●テクノロジーとうしろめたさ。
最近は、ChatGPTなどに代表されるようなAI技術によって私たちの生活も随分と変わってきました。私の仕事は大学の教員ですが、学生の作成するレポートもそれが本人によるものなのか、それともAIが書いたものなのか区別がつかなくなってきています(幸か不幸か、これまでのところAIでこしらえたレポートを提出された経験は(おそらく)ありませんが)。

私の専門である英語教育でもAIの存在は大きくなっています。AIを使った翻訳や自動添削は十分実用に足るレベルに到達しています。もし英語を使う目的が単に「英語で情報を理解する・表現する」ことだけであれば機械にやらせてもさほど大きな問題は生じません。技術的には英語のプロレベルの仕事が今後AIによってできる訳ですから、人間が大量の時間をかけ、苦労して英語を学ぶことに万人が納得できるような意義を見出すのは困難です。英語にそんなに時間をかけるのであれば、他のことをやった方が良いという意見は出て当然だと思います。

テクノロジーは「人間の限られた能力ではできないこと」を可能にしてくれます。では私たちが(英語をはじめとする)外国語を学ぶことの意義はなんでしょうか? これは私の意見ですが、「人間にとって意思疎通における困難さの存在を痛感し、そこから他者との交わり方に思いをはせるようになる」ことが外国語を学ぶことの意義ではないかと考えています。

これは外国語だけに限りませんが「自分のことをだれも分かってくれない」「子どもに○○と言ったのに、全然親の気持ちをくんでくれない(この逆もしかり)」「自分を理解してくれる人はこの世に1人もいない」など、私達の生活は「断絶」とでも呼べるようなコミュニケーションの失敗に満ちています。それもそのはず、実はコミュニケーションなんてめったに成功するものではないのですから(むしろ「意思疎通ができた」と思えるほうが奇跡的なのかもしれません)。私達は一生をかけて、山ほどの失敗を繰り返しながら、「他人と自分は想像を絶するほど違う存在であること」を学んでいくのです。

外国語で他者と交わる時に大切なのは「自分の発するメッセージは理解されないかもしれない。だからしぶとく、丁寧に言葉を紡ぐ」という姿勢です。外国語は私達にとっては「異質なコード体系」です。私達は自分の思いを異なる言語に移し替える際に、自分の伝えたいメッセージやニュアンスが失われるのを目の当たりにし、「とまどい」や「痛み」を感じます。では、この「とまどい」や「痛み」は避けるべきものでしょうか。私はそうは思いません。「とまどいながら生きる」ことを忘れてしまった人間は、「他者の他者性」に鈍感であるがゆえに、他者に対して極めて残酷な態度をとるかもしれません。「とまどい」や「痛み」を伴う暮らしは居心地の悪いものですが、人間は日々の生活の中で幾分かの不全感を感じながら生きているくらいが良いのではないでしょうか。
●英語で迷ってみよう。
では英語での意思疎通において、私たちはどのような違和感を感じ、それにどう向き合っていくのでしょうか。今回はその中でも「メッセージの組み立て」について議論しようと思います。

私は自分の授業で、「英語のコミュニケーションにおいて単なる逐語訳でしのごうとするのは避けよう」と言っています。自分の発する言葉が「どのような状況で」「どのような相手に」用いられているかを意識する必要があるということです(ここではあえて「どのような目的で」とは書いていません。話し手の発話意図は必ずしも話し手の想定どおりに聞き手には解釈されない場合があるからです)。

コミュニケーションは真空地帯に字面だけが泳いでいるような状況とは異なります。話し手と聞き手、書き手と読み手は「相互に歩み寄る」態度をもちながら、行き着く先の見えない言語的「社交ダンス」を踊ります。

例えば、もし皆さんの親友が身内を亡くされた時、あなたはその方にどういう言葉をかけますか。「お悔やみ申し上げます」「ご愁傷様です」という言葉がけもあるでしょう。でもこれが唯一の正解ではありません。もし親友が憔悴しているようであれば「大丈夫?」と声をかけることがあるかもしれません。そしてこの状況における言葉の使用には「こう言えば間違いない」という絶対解があるわけではありません。仮にこのやりとりで親友が安堵した表情をしたとしても、皆さんはその人と別れた後で「あんな言い方しなければ良かった」「他に言うべきことがあったんじゃないか」とくよくよするかもしれません。

コミュニケーションというものは「耳に聞こえる(=音声)」「目に見える(=文字)」結果だけでなく、発言者の状況判断や価値観があらわになる営みなのです。そしてこの価値観は実に不確かなものなのです。

現在、小学校でも外国語(実質的には「英語」)の授業が行われています。これは私見ですが、英語の授業で子どもたちには「楽しみながら、とまどう」姿勢を育ててほしいと考えています。日本語と英語という大きく異なる言語間のギャップを迷いながら超えていくことで、不確かさに耐える力を身につけてほしいと私は願っています。

日本語で言いたいことはあるのだけど、それを英語にできないことはよくあります。もちろん時間をじっくりかけて調べれば良いのでしょうが、相手を目の前にしたやりとりとなるとそうもいきません。以下、私が考える「英語のメッセージの組み立て方」におけるルールをご紹介します。
 

こうすることで、簡単な英語を使って自分の言いたいことを表現できます。もちろんニュアンスは異なりますし、この英文は幼く響くかもしれません。でも、この「もどかしい物足りなさ」を感じることが外国語学習の醍醐味ともいえます。私たちは時間をかけて、この違和感と付き合いながら、自分の言いたいことや自分の人間性がより伝わるように英語の力をつけていくことが求められます。英語学習、たしかに大変ですけれど、この複雑さに付き合っていける方が増えてくると、随分と暮らしやすい社会になるのではないでしょうか。
平本哲嗣
広島大学教育学部卒業、広島大学大学院修了。博士(教育学)。専門領域は初等・中等英語教育、英語教育政策、ICT利用の英語教育。文部省交換留学生として1991〜1992年に英国オックスフォード大学に留学。現在、安田女子大学教育学部児童教育学科にて初等教員養成にあたっている。

【よくある相談シリーズ】うちの子、逆上がりができません。

●子どものタメになる体育学習を考えよう。
小学校では、たくさんの教科や教科以外の授業があります。体育科もその1つで、2~4年生では年間105時間、5・6年生では年間90時間が授業時間として割り当てられています。(1年生は入学してすぐに授業というわけにはいきませんから、授業時数は上級生より1週間分少なく、年間102時間です。)

小学校で学習する教科は、国語科・算数科など10教科になります。生活科のように1・2年生だけの教科、家庭科のように5・6年生だけの教科、理科・社会科のように3年生から始まる教科があり、学年によって教科や授業時間が異なりますが、6年間に10教科の授業があります。体育科は6年間、毎学年で学習します。教科に加えて、「特別の教科である道徳」(全学年)、「外国語活動」(3・4年生)、「総合的な学習の時間」(4~6年生)、学級活動をする「特別活動」(全学年)といった教科以外の学習もあります。

これらの授業時間を合わせると小学校6年間に合計5,785時間の授業を受けて卒業することになります。この授業時間は、法律によって規定されている標準時間で全国共通です。(私学の場合、宗教の時間など一部、異なっている場合もあります)。

こうした授業のほかに入学式・卒業式などの儀式や、運動会・学習発表会・遠足・修学旅行・野外活動などの学校行事を加えて、子どもたちは6年間に多様な学びの場を経験して成長していきます。

それほど多くの授業が子どもにとって楽しく有益な時間になるか否か、本人にも保護者のみなさんにもとても大きな問題だと思います。そのなかで体育学習を子どもたち一人ひとりの成長にどのように活かしていけばよいかについて、ここで考えてみましょう。
●「逆上がり」ができないとダメなの?
体育科の学習では、何かが「できる」「できない」が注目され、例えば鉄棒運動では一般的に「逆上がり」ができるかできないかを二者択一で評価してしまうことが多いのではないでしょうか。「逆上がり」ができれば○、できなければ×と決めてしまうのです。

「逆上がり」まではできなくても、鉄棒にぶら下がることはできるかもしれません。鉄棒に跳びあがって、「ツバメ」と言って落ちないように全身をバランスよく支持し、静止することができる子どももいます。「ふとん干し」と言って体を2つに折るような姿勢でぶら下がったり、「こうもり」「おさるさん」「ぶたの丸焼き」などと称して鉄棒に手や足をかけてぶら下がったり、揺れたりして面白がる子どももいます。

これらは低学年の子どもたちが体育科の授業で挑戦する運動遊びです。鉄棒に上がり、体を支持した後に前回りをして下りたり、両手でぶら下がって足抜き回りをしたりする運動遊びもあります。からだの基本的な動きの習得に欠かせない運動遊びとして低学年の体育学習で「鉄棒を使った運動遊び」の事例として取り上げられている内容です。

鉄棒を使ったこのような運動遊びはどれを取ってみても、日常生活の中では行うことのない動きです。それができるということは通常の生活の中では経験しない、からだの新たな動きを獲得したことになります。このようにしてからだの発育・発達の過程で新たな「身のこなし」を身につけていくわけですが、ぶら下がるためにはそれなりの筋力が必要になります。回って下りるには、「逆さになる感覚」が不可欠ですし、静止したり揺れたり回ったりするためにはバランス感覚を伴い、そういった基礎的な身体能力が養われていくのです。

そして、これらの動きが「逆上がり」に発展していくことになるのですが、中学年・高学年になっても、まだ「逆上がり」ができない子どももいます。前回り下りはできても「逆上がり」はできない子どもに対して、「体育ができない子」と決めつけてはいないでしょうか。

一つひとつの動きを習得していくこと、つまり身体が変化していくことには目もくれないで、鉄棒運動と言えば「逆上がり」という意識になってはいないでしょうか。「逆上がり」はできなくても、鉄棒への跳び上がりができたり、ぶら下がりや前回り下りができたりすることが身体の発育・発達として大きな意味があることを見逃して、「逆上がりができなければダメ」という価値観を周囲の私たちが持ってしまうと、子ども自身にもそのような思い込みをさせてしまうことになります。

「逆上がり」ができないままでは「体育はダメ人間」なのでしょうか。身体に障害があり、「逆上がり」を習得することは無理な場合もあります。それでも、ぶら下がりができるようになればからだの動きの大きな進歩なのです。現在のからだの動きがわずかでも進歩することに価値があることをしっかりと受け止めたいものです。
●「競争」に勝たなければダメなの?
体育学習にまつわる価値観は、「逆上がり」ができるかといった、一定の技ができるかどうかの問題だけではありません。小学校体育科の学習内容には「かけっこ」「短距離走」「リレー」もあります。「走・跳・投」は運動の基礎的な能力であり、走力はその1つです。

子どもは生まれて1年前後で歩くようになり、2歳前後には不安定ながら走るようになります。歩き始めた子どもに「走りなさい」と指示する人はいないと思いますが、自然に走るようになります。走ることは人の本能と言えるでしょうか、発達過程にみられるからだの動きの変化です。最初は歩幅も小さく、上下動の大きな不安定な走り方で、長く続けて走ることはできません。

小学校に入学する頃には、その動きが洗練されてスムーズに、数十メートルも続けて走ることができるようになり、さらに成長と共にストライドが大きく跳ぶように走ったり、足の回転を速めたり(ピッチを上げる)、50m以上を走り抜けたりすることができるようになります。

その発達過程で足や手だけでなく全身の筋力や協応動作の能力が高まり、スピード感のあるより良い走り方が身についてくるわけですが、そのような走り方の変化の1つ1つがからだの動きが発達している証です。これは平均的な成長の表れ方ですが、例えば障害があり速く走るということは難しい場合でも、可能な範囲で走る動きを求めていけば必ずからだの動きに変化が表れます。動き方にいまのからだの動きとは異なる成長の証をみせることになります。

「かけっこ」「短距離走」を学習することは、からだの動きを高めていくことであり、成長していくことです。ところが、「走るのが遅いから体育が嫌い」という子どもが多いのが現実です。子どもは競走するからには勝ちたいと思うのが自然ですし、運動会の徒競走で1番になりたいと思うのは当然です。従って、走る前から「1番にならなくていい」と言ってしまうのはどうかと思います。

1番を目指して最大限の努力をすることがまず、大事なことだと思います。その結果として1番になれなければ、その悔しさを経験し次への意欲を高めることが成長の糧になるのではないでしょうか。周囲の子どもと競走して、結果として勝たなければ価値がないということではないはずです。

競走に限らず体育学習では「競争」の場面が多々ありますが、競争する前から「勝たなくてよい」と言うのは、競争の本質を逸脱していると言わざるを得ません。競争をするからには、勝つために工夫し全力を発揮することが求められます。しかし、それで負けて悔しい思いをすることも成長の糧であり、教育的な意義がありますが、同時に、勝つためにいろいろ考えたり、練習したりした過程で身に付けることは少なくありません。

子どもが全力で取り組んだことや、自己のパフォーマンスを最大限に発揮しようとしたことに成長の跡が認められますが、一定の距離を全力で走り抜けたこともゆるぎない成長の証です。それらの多面的な成長を認め、称賛することが子どもを取り巻く私たち大人の役割ではないでしょうか。

競技スポーツの世界では、1位とか優勝、金メダルといった競技の結果が求められます。アスリートは自己やチームの最高のパフォーマンスを発揮して他者と競い合い、アスリート自身が最大限の努力をした成果を確かめ達成感を味わったり、新たな課題に立ち向かったりするわけです。そのことが同時に、観ている人・支えている人に感動を与え、周囲の人たちの活力を導き出すことになります。それが競技スポーツのすばらしいところですが、学校での体育科の授業は求めるものが競技スポーツの世界とは異なります。

子どもたちが運動をする際に自己の最高のパフォーマンスを発揮したり、それを求めて取り組んだりすることは競技スポーツのアスリートと共通していますが、その結果の問い方は異なります。体育学習の場合は、結果として最高のパフォーマンスが発揮できなくても子ども自身の心身の変化に発育・発達上の意味があります。そこに学校体育の目的があり、競技スポーツ界との違いがあります。

体育科の授業では「陸上運動」「ボール運動」などで「競争(競走)」する場面が多々あり、そこでは「競争の仕方を工夫すること」や「決まりやルールを工夫したり守ったりすること」「勝敗を受け入れること」が学習内容となりますが、指導の目標として「勝つこと、1位になること」が求められているわけではありません。

子どもたちを取り巻く大人の私たちは、体育学習を競技スポーツと混同して捉えてはならないのです。体育学習で子どもの何が変わったのか、どう成長したのかを見極めながら、そのことを認め褒めることが大事なのではないでしょうか。
●「できた」を積み重ねて、楽しい体育学習に。
心身の成長を支え、子どもたちみんなが生涯を通じて健康・安全で心豊かに過ごせることを願って体育科の授業は展開されますが、「体育嫌い」の子どもがいることも現実です。体育学習の時間を楽しみにしている子どもも多い一方、「体育があるから学校に行きたくない」とさえ言う子どもがいることも事実のようです。

体育が嫌い、運動することが嫌いな原因はどこあるのか。私は教員を目指す大学3年生に毎年、小学校での体育を思い出しながら、自分は子どもたちにどのように指導していきたいかを聞くことにしています。その結果では、8割以上が小学校の体育学習が楽しかったと答えていますが、「嫌だった」という学生が毎年必ず1割弱います。

その理由の多くは、「運動が苦手」であることと、「できないこと」が他者の目にさらされ、見下されたり批判されたりすることです。「下手」とか「できない」「足が遅い」などと揶揄されたり、ボールゲームで失敗した時に批判されたり、自分が原因で負けたりしたことが辛い思い出として残っているようです。

それでも体育科の授業の必要性については、ほとんど全員が必要だと答えています。必要とは思わないという学生の理由は、自分が苦手だからということでした。「できない」「苦手」が体育学習に影を落としているようです。

現在の小学生の思いも彼女たちの思いと変わってはいないようです。学校では毎年、体力・運動能力等の調査が実施されます。少なくとも5年生には必ず「新体力テスト」などの調査が実施され、全国のデータが集計されてスポーツ庁から体力・運動能力等の実態が報告されています。この「新体力テスト」と同時に生活習慣等についてのアンケート調査が実施され、その結果も一緒に公表されます。令和4年(2022)度の調査結果が昨年12月に「全国体力・運動能力、運動習慣等調査」の報告書として公表されています(この報告書はウェブで公開されていますので、スポーツ庁HPで是非、閲覧してみてください)。

その中で子どもたち(小学校5年生)が「体育の授業が楽しい」と答えた理由として「体を動かすことが好き」「好きな種目、できる種目がある」「できなかったことができるようになる」「友達と一緒にできる」が上位に挙げられています。また、「楽しくない」と思っている子どもが楽しくなるための要件として挙げているのは、「できるようになる」ことです。いずれも「できる」ことがキーワードです。

子どもたちみんなが体育好きになって、元気に日常生活を送り、将来もそうあってほしいわけですが、そうなるには体育学習が楽しいことが不可欠です。子どもは本来、動くことが好きなのに、嫌いにしてしまうのも体育学習と言わざるを得ません。楽しい体育学習になるために、「できる」ことが大事なのですが、そこで「鉄棒運動では逆上がりができないとダメ」といった、固定的な意識が払しょくされることが必要です。

「逆上がり」はできなくても前回りをして下りることができるようになったことを「からだの動き」の変化として自他ともに「できた」と認めることが大事なのです。小さな「できた」の体験は実は成長の大きな証であり、「逆上がり」へのステップにもなります。わずかなことでもからだの動きの変化を子ども自身がとらえることができれば、「できた」という達成感と共に楽しい体育学習となり、新たな意欲がわいてきます。小さな変化を子ども自身が「できた」「進歩した」と思えるように、周囲の大人や子どもたちの運動の見方・考え方が変わっていくことが大事なのではないでしょうか。
徳永隆治(とくなが りゅうじ) 安田女子大学 教育学部 児童教育学科
教授児童教育学科長
●日本体育大学卒業、広島大学大学院学校教育研究科(前期)修了 修士(教育学)
●広島県立竹原高等学校教諭、広島大学附属小学校文部教官教諭、安田女子短期大学助教授、安田女子大学助教授を経て平成15年4月より現職、平成22年4月より児童教育学科長兼職。 
●専門は体育科教育、教師教育。『新版 初等体育科教育の研究』平成22年3月 学術図書出版、『体育授業を学び続ける~教師の成長物語』平成28年4月創文企画ほかを編著。論文・雑誌執筆等多数。文部科学省 学習指導要領等の改善に係る検討に必要な専門的作業等協力者 「小学校学習指導要領(平成29年告示)解説体育編」、 文部科学省『学校体育実技指導資料第7集「体つくり運動」改訂版』(平成24年7月)改訂協力者、平成11年度~平成24年度文部科学省・教員研修センター主催「子どもの体力向上指導者養成研修」の講師、広島県内外各地での体育研修会や小学校・幼稚園での体育科授業研究会・実技講習会の講師、広島市教育委員会「子どもの体力向上支援委員会」委員長などを歴任。現在、「広島市乳幼児教育保育推進体制に関する懇談会」委員、広島県・広島市小学校教育研究会体育科部会スーパーバイザー。
●日本体育学会・日本スポーツ教育学会・日本発育発達学会・子どものからだと心連絡会議会員、全国小学校体育研究連盟副会長

【よくある相談シリーズ】ピアノは、早いうちに習い始める方が良いですか。

「うちの子、お友達がピアノを習っていると聞き、自分もやりたいと言います。ピアノは、早いうちに習い始める方が良いのですか? また、家での練習用に本格的なピアノを買った方が良いのか、キーボードなどでも良いのかも教えてほしいです」。このようなご相談がよくあります。
●ピアノを習い始める時期について
まず、ピアノを習い始める時期ですが、一般的に、小学生や中学生でピアノを上手に弾けるお子さんは、ピアノのレッスンを受けている傾向にあります。指使いや鍵盤へのタッチの仕方、楽譜の読み方や演奏技術は、自己流ではなく専門家の助けを得た方が良いと思われます。私自身、専門は声楽ですが、ピアノは5歳から個人レッスンを受け始めました。基礎から応用まで無理なく進み、短期大学等でピアノの授業を行うことができたのは、やはりピアノを早くから習っていた影響があるといえます。

ただ、当然のことのようにも思えますが、ピアノの上達には毎日の継続的な練習が不可欠です。ですから、必ずしも早期に習い始めたお子さんが全員上達するとは限りません。毎日のピアノの練習が億劫になってしまうことで、最初は好きだったピアノからだんだん心が離れ、やがて音楽自体が嫌いになる子どもも少なからずいます。特に小学生という年齢を考えると、個人差はあれど、毎日の練習を癖づけることだけでも大変なことだと思います。
●基礎練習の重要性について
もちろん最近では、子どもたちに弾きたい曲を選んでもらうなど、子どもが練習嫌い、音楽嫌いにならないように工夫しているピアノ教室もありますし、そのような先生もたくさんいらっしゃいます。ピアノ教室を選ぶときに、曲や使用テキストを見せてもらい、指導方針をよくお聞きになることをおすすめします。

ただし、やはりピアノを習うことになれば、基礎的な練習もしなくてはいけないことはぜひご承知おきいただきたいところです。ピアノの指使いなどを鍛える基礎練習は、つまらない、退屈だと思われるものが多いのですが、そうした基礎練習の上にピアノの演奏力は成立します。その点、お子さんと良く話し合っておくとよいでしょう。
●レッスン料金について
昨今の物価高などを考慮すると、いわゆるピアノレッスンの料金も気になるところでしょう。ピアノのレッスン料金は、個人レッスンですと時間ごとに決まっている場合が多く、ピアノ教室ですと月謝制になっている場合が多いと思われます。また指導内容も様々で、ピアノ演奏指導だけのところもあれば、弾き歌い、歌、聴音(聴き取った音を楽譜にその場で書き入れる練習)など、様々なトレーニングが付属しているところもあります。いずれにしても、月々に定期的な出費が発生することに変わりはありません。もしピアノを習うのであれば、毎月お金を払っているわけだから、レッスン料の分、ピアノをうまく弾けるようになろうという強い意志を、親子ともに持つ必要があるでしょう。
 

●家庭での練習用のピアノについて
家庭での練習用ピアノとして、グランドピアノやアップライトピアノなどを入れる場合のメリットとして、実際にレッスンで使われるピアノと同様のもので練習できるということが挙げられます。

ただし、マンションなどの集合住宅の場合、本格的なグランドピアノやアップライトピアノを入れるには、様々な困難があります。高層階の場合は釣り上げ搬入となりますし、床の強度がピアノの重量に耐えられるかも事前に検討しなくてはなりません。グランドピアノの場合は、6畳ほどの部屋でしたら1部屋のほとんどのスぺ―スを占めてしまいます。

防音設備も必要となります。防音工事は部屋が独立していないと難しい場合もあり、賃貸物件などでは、そもそも防音工事ができない場合もあります。最近では、様々な防音室が販売・レンタルされていますが、グランドピアノやアップライトピアノを入れるとなると、それなりの広さも必要です。その分、価格も上がります。それに加え、ピアノ本体の値段も、電子ピアノやキーボードに比べると高価です。定期的なピアノの調律を依頼する費用も必要となります。一戸建ての住宅ですと、防音等の条件が多少緩和される可能性もありますが、上記のような問題は、ほとんど同様に生じるでしょう。
 
電子ピアノやキーボードと一言で言っても、多種多様なものが市場には出回っています。グランドピアノの鍵盤数は88鍵ですが、電子ピアノやキーボードの場合は、88、61、48など様々な鍵盤数のものがあります。鍵盤の幅や長さも異なりますし、鍵盤の感触も、グランドピアノとほとんど変わらない重さのものから、非常に軽いものまで様々です。練習用のものから、パソコンと繋いだりUSB端子がついていたりと、機能が付属しているものもあります。それによって、価格も多様になっています。

メリットは、ヘッドホンをつければ、音が外に漏れることはほとんどないため、練習時間帯に制約がほとんどないということでしょうか。また電子ピアノの場合は、定期的な調律は必要ありません。逆にデメリットは、レッスンで使われるピアノと鍵盤数や感触が違いすぎると、違和感があるという点でしょう。電子ピアノやキーボードは、ぜひ楽器店に足を運んでいただき、お子さんと一緒に感触を確かめながら選ぶことをおすすめします。また、実際にレッスンを受ける先生の考え方もあるでしょうから、レッスンを受け始めてから、先生に聞いてみるという方法もあります。
 
●「いつでも練習できる」環境を大切に。
小学生でピアノを習い始める場合には、もちろんピアノの上達が目標となるでしょう。ただ、子どもは気分が乗らない時にはなかなか練習に取り組みません。ですから、子どもが「ピアノを弾いてみようかな」と思った時に、「いつでも練習できる」環境を可能な限り準備する必要があります。もちろん、時間帯の制約などは仕方ありません。しかし、グランドピアノや椅子の上にたくさん物を置いたりしていると、いざ弾きたいと思っても、すぐに鍵盤に触ることができないこともあります。電子ピアノであっても、アダプタを押し入れの奥にしまい込んだりしていれば、ピアノを弾くまでに一苦労しなくてはなりません。 もちろん、練習後の片付けは大切ですが、ピアノを弾くという行為に至るまでのステップをできるだけ少なくし、弾きたいときに気軽に弾けるように工夫することが、ピアノを練習するための環境づくりには必要であると考えられます。
長友洋喜
安田女子大学 講師
東京大学卒業。東京大学大学院修士課程および博士後期課程修了。音楽教育史の分野での論文で博士(教育学)を取得。中学校・高等学校教員職員免許状一種(音楽・英語)取得。東京大学教育学研究員、埼玉県内の私立中学校・高等学校教員、千葉県内の短期大学専任講師を経て、2018年4月より現職。音楽ⅠⅡ、ピアノ演奏法、音楽科教育法、音楽科教育法演習などの授業を担当している。また、大学教員の傍ら、リサイタルやジョイント・コンサートなどへの出演も積極的に行っている。

【よくある相談シリーズ】うちの子、学校の支度が自分でできません。

みなさんは、子どもの頃、学校の支度が自分ひとりできちんとできていましたでしょうか。「自分もよく親の手を煩わせていたなぁ」と苦々しく振り返る方もいらっしゃれば、「自分は親に促された記憶すらないけどなぁ」と支度が自分でできない子どもの感覚がわからない方もいらっしゃるかもしれません。

「自分ひとりで学校の支度ができない」というお悩みは、今も昔もよくある話です。「毎日のことなのに、何度もせっつかないとやろうとしない」「毎回指示や確認が必要」「一体いつになったら、何も言わなくても自分ひとりで学校の支度をしてくれるようになるんだろう」と頭を悩ませている声をよく聞きます。「本人に任せると忘れ物をしてしまうので、結局毎回一緒に準備をすることになる」「いつも登校ぎりぎりになって焦って用意するので、ついイライラして叱ったり、手を貸し過ぎてしまったりする」といったお悩みに共感を覚える方も少なくないかもしれません。

しかし、こうしたお悩みがSNS等を通じて広く共有されるようになると、学校の支度が自分でできない子どもの中には、そうしたことがとても苦手なタイプの子どもがいることも一般に知られるようになり、近年では、支援ツールや便利グッズ等を用いて困難な部分を補ったり、本人のやる気を引き出したりして、自分でできるようにしていこうという考え方が世の中に浸透してきているように思います。

こうした社会の変化を背景に、最近では「お仕度ボード」などの名称で様々なタイプの支援ツールが市販されているようです。しかし、「うちの子にはまるで効果がなかった」「使いこなせず無駄になった」「良さそうに思えたのに結局はあまり長続きしなかった」といった失敗談も聞きます。それらを使っても、うまくいくケースとうまくいかないケースがあるのはなぜでしょうか。
ポイント❶
子どもの現状に応じて、自分で取り組みやすい環境を整えること。

一概に「学校の支度が自分でできない」と言っても、促したりせっついたりすれば自分でできるけれど、自分からはなかなかやろうとしないレベルなのか、支度に必要な手順や段取り等がそもそもわかりにくいために行動できない状態で、自分ひとりでするとミスや抜けが多くなってしまって忘れ物にもつながるので、見守りやサポートが必要なレベルなのか、子どもの生まれもった特性や年齢等によっても、様々な状況が考えられます。そのため、まずは子どもの現在の状態や特徴、苦手なことなどをしっかりと見極めた上で、その子に最もあった方法でサポートしていくことが重要です。

一般に、多くの子どもに広く有効な方法として、支度の手順を絵や写真なども使って視覚的にわかりやすく示したり、用意する物をチェックリストで示したりして、するべきことを「見える化」する方法が知られています。「見える化」することで、できた実感が得られやすくなり、自分でやろうとする意欲にもつながるので、最近は支援ツール等も数多く出回っていたり、インターネット上で作り方が紹介されていたりするわけです。ただし、様々な仕様があるため、その子に合わないタイプを選んだり、合わない使い方をしてしまうと、まるで効果がないばかりか、かえって子どもを混乱させてしまうこともあるので、注意が必要です。

特に、やるべきことの絵や文字が全部一度に示されていて、その中から毎回自分で必要なものを選んで実行しなければいけないタイプは、手順を一つひとつ順番に示さないと行動しにくいタイプの子には向かないでしょう。また、年齢的に幼い子や、もともと手先があまり器用でない子の場合には、できたらその項目のマグネットを裏返すタイプは、裏返すことがうまくいかないためにつまずいてしまうこともあります。少し手間はかかりますが、その子に合うものを手作りしたり、市販品を用いる場合も、子どもの年齢や特性に合わせて適宜アレンジしながら使用するようにしましょう。とりわけ、現在、医療機関で診断を受けていて、既に専用の視覚的支援ツールなどを使用している場合には、勝手に異なるツールを併用するのは望ましくないので、必ず主治医に相談するようにしましょう。

また、途中で他の事や物に気をとられて最後までやり遂げられない傾向がある子の場合には、余計なものに気をとられない空間で準備ができるよう、あらかじめ周囲の環境を整えておくことも重要です。できるだけ狭い範囲の移動で必要なものがそろうように収納を工夫し、取りに行って戻るまでの動線上に気が散るものを置かない配慮が必要でしょう。特に、日頃から使ったものをいろんな場所に放置してしまうクセがある場合や、その時々に適当な場所に片付けてしまうことが習慣化している場合には、必要な物がどこにあるかわからないために毎回探すのに時間がかかってうんざりしてしまい、途中で投げ出したり、長続きしなかったりすることもあります。

何も完璧な収納を目指す必要はなく、それぞれのご家庭にあったスタイルで、ほんの少し、次のような点を意識してひと手間かけておくと、子どもにとっては格段に取り組みやすくなるはずです。体操服やリコーダーといった日頃よく使う物については一定の区画にまとめて、それぞれの定位置を決めておき、ラベルづくりの手間をかけられない場合にもその物を表すシールを収納場所に貼っておくなどして、どこに何があるのか子どもが自分で把握できるようにしておきます。子どもと一緒にラベルづくりをしたりシールを貼ったりして、収納するところまでを親子の共同作業にすれば、親子のコミュニケーションの時間となり、大人も負担感が減って、子どもも楽しみながら定位置を覚えることができると思います。あとは、親子で、使用後や洗濯のあとは必ずその場所に収納するというルール決めて、それを守るようにしましょう。

そして、学校の支度を習慣づけるためには、トイレのあとの手洗いや、朝晩のはみがきなどのように、特に意識しなくても自然に行動できるような日常のルーティンのひとつにしてしまうことが重要です。いつも同じタイミングで、決まった手順で行えるようサポートし、その子の日常のいつもの習慣のひとつにしてしまいましょう。焦らず、ステップを踏みながら、はじめのうちはそばで見守ったり、できているかを確認したりして、うまくできたらそれを一緒に喜び、十分にほめてあげるようにしましょう。また、失敗しても叱ったりせず、根気強く励まし、つまずきに応じてツールやグッズ、手順等を見直して、その子としっかりコミュニケーションをとりながら、その子にとって最適なやり方に修正していくことも重要でしょう。はじめは手間暇がかかるように思うかもしれせんが、そのステップを経ることで、子どもはできる喜びを十分に味わい、自分でやれる自信もついて、次第にひとりでも取り組める習慣として定着していくはずです。
 
また、支度の段階以前に、そもそも学校で、翌日の時間割や持ってくるもの、宿題などを連絡帳にメモしてくる段階でつまずいている場合には、科目や持ってくるもののリストをプリントしたものを連絡帳に貼り付けて、リストに○をつけるだけでよいようにして、リスト以外のものだけをその他のところに書き込めばよいようにしておくなど、必要な情報をきちんとメモしてくることができるような工夫も必要でしょう。学年やクラスによっては、自分で書きとる練習が求められている場合もあるので、あらかじめ担任の先生にも事情を話した上で、協力を求めておくとスムーズかもしれません。最近は、1週間分の時間割が事前に配布される学校も増えているので、その時間割を子どもの目線で確認しやすい位置に貼っておくようにするといった工夫も有効でしょう。
ポイント❷
その子にとっての困難を見極め、
気持ちに寄り添いながら根気よくサポートすること。

「自分は、このくらいの歳には、親から促されなくても自分で支度ができていた」という方ほど、子どもができなかったときのストレスは大きいのかもしれません。あるいは、きょうだいのうち特定のお子さんだけがなかなか自分で支度ができない場合も、「どうしてこの子だけ…」と悩ましく思われることもあるようです。しかし、本人に自覚を促そうと、親やきょうだいの例をあげて、「○歳の頃にはできてたよ」などとプレッシャーをかけることは、あまり望ましくありません。その子の自尊心を傷つけ、自己肯定感を低めてしまう可能性があるので、避けたほうがよいでしょう。親子でもきょうだいでも、得手不得手には個人差があります。たまたま親やきょうだいたちにとっては苦も無くできることだったとしても、その子にとってはとても苦手な場合もあります。自分でしようとしても手順や段取りがわからないために行動できないタイプの子どもに、「学校の支度はもうしたの?」「早くやりなさい」といった言葉だけで行動を促そうとしても、たいていうまくいきません。度重なると、できない自分に劣等感や罪悪感を抱くようになっていく場合もあります。その子の抱えるしんどさを実感できない時ほど、その子にとってはそれが困難なことであるという事実を受け止め、苦手な子が自分でできるための支援ツールの活用や工夫、習慣づけ等の必要性を理解し、習慣づくまで寄り添って一緒に頑張る根気が必要となってくるでしょう。

このとき、苦手なこともぴったりくる対策も、一人ひとり少しずつ違うことを心に留めておくことが重要です。少し時間はかかりますが、まずは、その子がひとりで学校の支度をするために必要なことや手順を洗い出し、日頃のその子の行動や傾向から、その子にとっては、その中の何がどんなふうに苦手なのかを見極め、苦手な部分をうまくカバーできるような仕組みや環境を整えていくことが必要です。その上で、焦らず、少しずつステップを踏みながら、自分ひとりでできるようになるまで徐々に習慣づけていくようにしましょう。
ポイント❸
小さな達成感を大切にして、
意欲を持ち続けられるように親子で楽しむこと。

日々の習慣として長く継続していくためには、子ども自身がやってよかったと感じること、モチベーションの維持がとても重要です。大人にガミガミ言われずにスムーズに支度ができるようになれば、それまで悩みだった忘れ物が減るなどして自信につながり、それがさらに継続する意欲を生むようにもなりますが、はじめは、日々の小さな達成感を喜びにして続けていくことが重要です。その日の準備を終えたら、カレンダーの日付をペンで消していくだけでも達成感につながるでしょう。ひと手間かける余裕があるなら、毎日行っている項目ごとに○をつけていける表などを用意して、週ごとの達成率を出してもよいかもしれません。その週の達成率を出して「見える化」すると、達成率を上げたくなって、意欲につながる場合があるからです。また、あらかじめ準備にかかる目安時間などを把握しておき、子どもの目につくところに時計を用意するなどして、予定時間までにできたことや、かかる時間が減ったことをほめたりすることで、モチベーションを高める方法もあるでしょう。さらには、子どもによっては、慣れてきたら、どこまでタイムを縮められるか計るといった工夫もできるかもしれません。

また、意欲を持続するためには、その子にとって続けやすいタイミングの見極めも重要でしょう。その子の「やる気スイッチ」がオフになっているタイミングではモチベーションがあがりにくく、1日、2日は頑張れても、長続きしないかもしれません。例えば、寝る準備をする前に明日の支度をするよう習慣づけようとしても、入浴や夕食のあとしばらくの間くつろいでしまっていると、眠気も出て、やる気が湧きにくくなっているかもしれません。翌日の学校の支度が終わってから夕食にするなど、何か楽しみなことの前に済ませるようにするといった工夫をしてみると継続しやすくなるかもしれません。ただし、前日から準備できるものもあれば、朝にならなければ準備できないものもあるため、子どもの特性や年齢、苦手なことによっては、あらかじめ前日の支度と朝の支度とを分けて、それぞれの手順やリストを整理しておいたり、それぞれの最適なタイミングを見極めておいたりする必要もあるでしょう。

紹介したような「見える化」するためのツールやグッズの使用やちょっとした環境整備、タイミングを見計らっての習慣づけ等が功を奏し、すぐにうまくいく場合もあれば、その子の苦手なことの内容によっては、いろいろと試行錯誤が必要な場合があるかもしれません。そんな時も、できるだけうまくいったことやできたことに目を向けるよう心がけ、自分でできることが一つひとつ増えたり、かかる時間が次第に短くなっていったりすることを日々一緒に喜びながら、親にとっても子どもにとっても苦にならないよう、焦らず気長に取り組んでみていただければと思います。親子で自分たちにぴったり合う最適のやり方を模索し、その子の特性や育ちに合わせてカスタマイズしていく過程も楽しみながら、根気強く取り組んでみてくださいね。
加藤美帆
広島女学院大学 人間生活学部
児童教育学科 教授
一般社団法人
日本ホスピタリティ教育研究所 理事
博士(教育学)修士(心理学)
専門分野:発達心理学、教育心理学

【よくある相談シリーズ】大きな声で子どもを叱ってしまいます。これって虐待でしょうか?

「何度言っても、ゲームの時間が守れない、宿題をしない、片づけないなどで、つい大きな声で子どもを叱ってしまいます。しつけのつもりですが、これって虐待でしょうか」というご相談です。

日常生活で子どもに指示してもなかなか動いてくれない時、初めは優しく言っていたのにだんだんトーンが上がってきて声が大きくなり、口調が強くなることはよくあることです。大きな声を出すまで言うことを聞いてくれないと嘆いている保護者のお話もよく聞きます。

「もうすぐ夕食だからお片付けしてね」→「早く片付けなさい」→「何度言ったらやるの!!」大声での指示はエスカレートしがちです。それでも子どもが動かないと、だんだんイライラしてきて、保護者の側がキレて手が出そうになったりすることもあるかもしれません。

子どもは、大きな声に慣れると、昨日までの声の大きさでは言うことを聞かなくなります。ますます大きな声で怒鳴らないといけなくなる悪循環になります。また、怒鳴っても言うことを聞かないと「叩くよ」「ごはん抜きにするよ」など脅し言葉を使ってしまうこともあるかもしれません。
●「子ども虐待」とは…
「子ども虐待」とは、養育者による次の4種類の行為のことです。
一度だけ大きな声で怒鳴ったからといって、すぐに虐待と認定されるわけではありません。保護者は子どもが社会に出た時に、困らずに生活できるように、しつけをする役割も担っています。「お片付けができる子どもになって欲しい」など、願いを持って接しています。しかし、子どものためを思って一生懸命にしつけをしようとしていても、怒鳴り声の繰り返しや、脅しや威圧(子どもを怖がらせる、精神的苦痛を与える行為)、暴力(身体的苦痛を与える行為)を用いることは、「子ども虐待」にあたるといえます。「子ども虐待」は、子どもの安心・安全を脅かし、心身の成長・発達にも悪影響を与える子どもへの人権侵害で、してはいけない行為です。しつけに体罰を用いることも同様で法律でも禁止されています。
●しつけに大声は不要です。脅しや威圧は不適切です。
大声や脅しを用いて、子どもに言うことをきかせるのは良い方法ではありません。怖い人がいないところでは指示に従わなくなりますし、自分で考えて行動することを諦めてしまいます。また、親子関係は、子どもにとってその後の人間関係のモデルになるともいわれています。大声を出したり、相手を脅したりして、人に言うことをきかせるのは人間関係のあり方として不適切です。相手を自分の思うように行動させるためには、大きな声を出したり脅したりしたらいいと学んで、友達にそういう態度をとるようになります。中学生になって保護者と体格が逆転したら、保護者にもそういう態度をとることもあります。子どもが社会に出て困らないようにと願ってしつけを頑張っても、そうなれば逆効果です。

●保護者のイライラを子どもにぶつけないしつけのコツ
しつけをしているつもりが、いつの間にか、保護者自身のイライラや怒りを子どもにぶつけてしまうことにならないよう、対処のコツをご提案します。
 
これまで大きな声で叱られていた子どもは、保護者がこのやり方に切り替えても、すぐに言うことを聞かない場合もありますが、その時は諦めて次の機会にできるようになることをめざしましょう。同じトーンを保って、子どもに分かりやすい指示を出すことを続けていくと、きっと良い変化が期待できます。
●子どもに分かりやすい指示とは…
 
◎11月は、厚生労働省が定める
『児童虐待防止推進月間』です。
~子どもの虐待のない社会の実現を!~
小畠由香 安田女子大学教育学部児童教育学科准教授
臨床心理士・公認心理師
児童相談所で児童福祉司・児童心理司として勤務し、子ども虐待対応や子どもの心のケアに携わってきた経験を活かして、子ども家庭福祉を担当している。

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