被爆者の「痛み」に寄り添う相談員 波田保子さん90歳の思い 「存続か解散か」揺れる被爆者団体 広島
9/22(火) 18:31
被爆者の平均年齢が86歳を超え、県内の被爆者団体は活動の継続が難しくなっている団体も少なくありません。
そんな中、同じように被爆した人の「痛み」に寄り添おうと活動を続ける女性を取材しました。
そんな中、同じように被爆した人の「痛み」に寄り添おうと活動を続ける女性を取材しました。
佐久間邦彦さんが理事長を務める県原爆被害者団体協議会の事務所を、毎週金曜日に訪れる一人の女性がいます。波田保子さん、90歳。
【県被団協 相談員 波田 保子 さん(90)】
「名前だけの会だったら、会費集めて納めたらいいんだけど、何かをしないと、(会が)ある価値ないでしょ。それを続けることが大変なんよね」
被爆者の相談にあたっている波田さん。被爆者の高齢化で今、全国の被爆者団体は活動を続けることが難しくなっています。県内でも解散が相次ぎ、府中市や、尾道市の因島地区・御調地区などで被爆者の会が無くなりました。
こうした現状を受け、2024年にノーベル平和賞を受賞した日本被団協は今年6月、被爆2世や3世などで存続を目指すか、被爆者の活動実態がなくなった時点で解散するかを1年後に決める方針を表明しました。
【県被団協 佐久間 邦彦 理事長】
「皆さんとともに検討して、どうしたらいいのかっていうのを、この1年かけて考えようっていうことになってますので、色々意見を出してください」
【県被団協 相談員 波田 保子 さん(90)】
「名前だけの会だったら、会費集めて納めたらいいんだけど、何かをしないと、(会が)ある価値ないでしょ。それを続けることが大変なんよね」
被爆者の相談にあたっている波田さん。被爆者の高齢化で今、全国の被爆者団体は活動を続けることが難しくなっています。県内でも解散が相次ぎ、府中市や、尾道市の因島地区・御調地区などで被爆者の会が無くなりました。
こうした現状を受け、2024年にノーベル平和賞を受賞した日本被団協は今年6月、被爆2世や3世などで存続を目指すか、被爆者の活動実態がなくなった時点で解散するかを1年後に決める方針を表明しました。
【県被団協 佐久間 邦彦 理事長】
「皆さんとともに検討して、どうしたらいいのかっていうのを、この1年かけて考えようっていうことになってますので、色々意見を出してください」
ことし7月。原爆の日を前に、波田さんが所属する「吉島原爆被害者の会」の集会が開かれました。
被爆証言に臨んだ波田さん。81年前のあの日、9歳だった波田さんは北広島町に集団疎開していました。
【波田さん】
「広島に落ちた原爆の煙を、何かショートするような、ぴかっとした光を見ました。夕方には、たくさんの負傷者たちが避難してこられました。もう本当に火傷をした人もいるし、ボロボロの衣服が垂れ下がった人もいたし、怪我も何にもしてないのに、歩くことができない人たちもゾロゾロいるのを見た」
その後、自宅があった広島市中区舟入幸町に戻り被爆。いわゆる入市被爆です。
両親は爆心地から1.5キロの場所でそれぞれ、被爆。特に、父・信男さんは建物の下敷きになり大きなケガを負いました。
【波田さん】
「これが生きとる人か、という風な恐ろしい姿で仁王立ちになり、か細い声で私の名を呼ぶ父のそばに行くことはできず、ぶるぶると震えていました」
放射線は、信男さんの体も心もむしばみました。
【波田さん】
「心もお父さん自身が荒んできて、暴力振るうことがあったり、いろんなことがあった。人間のその元の細胞まで、免疫細胞までやられて、体を治していく、そういうものも失うような体にしたのが、やっぱりあの日の一発なんだっていうことを分かるまでは、やっぱり(父を)好きにはなれなかった」
被爆証言に臨んだ波田さん。81年前のあの日、9歳だった波田さんは北広島町に集団疎開していました。
【波田さん】
「広島に落ちた原爆の煙を、何かショートするような、ぴかっとした光を見ました。夕方には、たくさんの負傷者たちが避難してこられました。もう本当に火傷をした人もいるし、ボロボロの衣服が垂れ下がった人もいたし、怪我も何にもしてないのに、歩くことができない人たちもゾロゾロいるのを見た」
その後、自宅があった広島市中区舟入幸町に戻り被爆。いわゆる入市被爆です。
両親は爆心地から1.5キロの場所でそれぞれ、被爆。特に、父・信男さんは建物の下敷きになり大きなケガを負いました。
【波田さん】
「これが生きとる人か、という風な恐ろしい姿で仁王立ちになり、か細い声で私の名を呼ぶ父のそばに行くことはできず、ぶるぶると震えていました」
放射線は、信男さんの体も心もむしばみました。
【波田さん】
「心もお父さん自身が荒んできて、暴力振るうことがあったり、いろんなことがあった。人間のその元の細胞まで、免疫細胞までやられて、体を治していく、そういうものも失うような体にしたのが、やっぱりあの日の一発なんだっていうことを分かるまでは、やっぱり(父を)好きにはなれなかった」
歳を重ね、原爆のことを知る中で、父の苦しみが理解できるようになった波田さん。生前の父への接し方の後悔から、被団協の相談員として、後遺症に苦しむ人と向き合うようになりました。
【県被団協 相談員 波田 保子 さん(90)】
「まあ今も相談をしながら、いろいろな話を聞くたびに、自分だけでは終わらずに、また子や孫、孫のことも考えたらという話もされるので、ますますやっぱり自分の背負った苦しみっていうのは、次の世代にきちんと伝えていかなければならない」
事務所に相談に訪れる人は、年々減っていますが、今でも年間200件ほどの相談に対応しています。
差別を恐れ、被爆者手帳をとっていなかった親が病気になり、手帳を取得したいと被爆2世が、親の代わりに相談に来ることもあるといいます。
相談員の活動を通して、地域に『居場所』があることの重要性を感じるという波田さん。
【波田さん】
「住んでいる町で、ここに相談に行ったらいいっていうところがあるのが、一番ベターだと思いますよね」
【県被団協 相談員 波田 保子 さん(90)】
「まあ今も相談をしながら、いろいろな話を聞くたびに、自分だけでは終わらずに、また子や孫、孫のことも考えたらという話もされるので、ますますやっぱり自分の背負った苦しみっていうのは、次の世代にきちんと伝えていかなければならない」
事務所に相談に訪れる人は、年々減っていますが、今でも年間200件ほどの相談に対応しています。
差別を恐れ、被爆者手帳をとっていなかった親が病気になり、手帳を取得したいと被爆2世が、親の代わりに相談に来ることもあるといいます。
相談員の活動を通して、地域に『居場所』があることの重要性を感じるという波田さん。
【波田さん】
「住んでいる町で、ここに相談に行ったらいいっていうところがあるのが、一番ベターだと思いますよね」
『吉島原爆被害者の会』は、地域で『戦争反対』という思いを共有し、次の世代につないでいきたいと2008年に結成。近年は、核兵器禁止条約の批准を求める署名活動などを行ってきました。
【波田さん】
「人が作った爆弾、それは人間が無くさないといけないと私は思っています」
今年の『吉島平和のつどい』には、被爆者や被爆2世など約20人が参加し、波田さんの証言に耳を傾けました。
【波田さん】
「人が作った爆弾、それは人間が無くさないといけないと私は思っています」
今年の『吉島平和のつどい』には、被爆者や被爆2世など約20人が参加し、波田さんの証言に耳を傾けました。
共有するのは「平和への思い」だけではありません。
最高齢は90歳を超える会員たちが集まるこの日、行われたのは『笑いヨガ』。会では、定期的に被爆者の体と心の状態を確認しようと、身体計測も行います。
【吉島原爆被害者の会 中尾 米水 会長】
「(身長が)だいぶ縮んだねアハハ」
【参加した会員】
「私にどんな活動ができるかなと、波田さんのようにいっぱい知識を持っていないので。でも私にできること、小さなことでもいいので、できることがあればいいなと思っています」
自身の体験から、被爆者の「居場所」を守ると決意する波田さん。過ちを二度と繰り返さないためにも、将来に向け会の存続を望んでいます。
【県被団協 相談員 波田 保子 さん(90)】
「2世・3世に、つながっていきたいという形もあるので、本当に性根を据えて、みんなが若い人たちと、市民と一緒に運動していったら、お互いに理解し合って、大きな運動ができるんじゃないかなと思ってます」
被爆者なき時代が迫る中、波田さんは今いる被爆者の声に耳を傾けながら、核兵器廃絶に向けた活動の在り方を模索し続けています。
最高齢は90歳を超える会員たちが集まるこの日、行われたのは『笑いヨガ』。会では、定期的に被爆者の体と心の状態を確認しようと、身体計測も行います。
【吉島原爆被害者の会 中尾 米水 会長】
「(身長が)だいぶ縮んだねアハハ」
【参加した会員】
「私にどんな活動ができるかなと、波田さんのようにいっぱい知識を持っていないので。でも私にできること、小さなことでもいいので、できることがあればいいなと思っています」
自身の体験から、被爆者の「居場所」を守ると決意する波田さん。過ちを二度と繰り返さないためにも、将来に向け会の存続を望んでいます。
【県被団協 相談員 波田 保子 さん(90)】
「2世・3世に、つながっていきたいという形もあるので、本当に性根を据えて、みんなが若い人たちと、市民と一緒に運動していったら、お互いに理解し合って、大きな運動ができるんじゃないかなと思ってます」
被爆者なき時代が迫る中、波田さんは今いる被爆者の声に耳を傾けながら、核兵器廃絶に向けた活動の在り方を模索し続けています。
