【広島あの日のきょう】「加藤老事件」無罪判決(1977年)62年間、無実を訴え続け、冤罪を晴らす
7/7(月) 18:50
「あの日のきょうにずきゅん」テレビ新広島、放送50年の歴史の中から、あの日のニュースを振り返ります。
今から48年前の1977年7月7日、強盗殺人の罪に問われ62年もの間、無実を訴えていた男性に、無罪判決が言い渡されました。その後、広島高検は上告を断念し男性の無罪が確定しました。
無罪判決を受けたのは山口県の加藤新一さん当時86歳です。
裁判所前では「無罪」と書いた紙を持って走る人の姿に、集まった100人の支援者から大きな拍手が送られました。
裁判所前では「無罪」と書いた紙を持って走る人の姿に、集まった100人の支援者から大きな拍手が送られました。
この事件は今から110年前の1915年に山口県であった強盗殺人事件で、別の男の供述により、当時24歳だった加藤さんが共犯者とされたものです。
加藤さんは無期懲役の判決を受け14年服役しましたが、62年間、一貫して無罪を訴えていました。
加藤さんは無期懲役の判決を受け14年服役しましたが、62年間、一貫して無罪を訴えていました。
【加藤新一さん】
「これだけの大きな犯罪で、実地検証もやらんという現代から考えてみたら驚きの捜査の第一歩でしょう」
「これだけの大きな犯罪で、実地検証もやらんという現代から考えてみたら驚きの捜査の第一歩でしょう」
裁判所は、別の男の供述は信用できず、物証とされた衣服についたシミを人の血の跡だとした鑑定結果も誤りであったと断じました。
事件発生から62年後の無罪判決は日本の司法史上最長とされています。
事件発生から62年後の無罪判決は日本の司法史上最長とされています。
(メモ)
広島高裁の無罪判決後、広島高等検察庁は、「重大な事実誤認があり、これをくつがえすことは極めて困難である」として上告を断念、無罪が確定しました。
加藤新一さんは、無罪判決から3年後に入院先の病院で老人性の気管支肺炎で亡くなりました。
広島高裁の無罪判決後、広島高等検察庁は、「重大な事実誤認があり、これをくつがえすことは極めて困難である」として上告を断念、無罪が確定しました。
加藤新一さんは、無罪判決から3年後に入院先の病院で老人性の気管支肺炎で亡くなりました。