「次世代に 最愛の家族に 核なき世界を」 81歳で被爆証言始めた八幡照子さん 平和を誓う手形♯20
6/5(木) 17:48
「被爆80年プロジェクト つたえる つなげる」
被爆者の八幡照子さん(87)
8歳の時、爆心地から約2.5キロ離れた祖母の家で被爆した。
【八幡照子さん】
「裏庭に下り立ったときにピカッと空がね、ものすごい光がした。
今、表現すると空一面、巨大な蛍光灯になったようで、地面に伏せようとしたまま意識を無くしました」
被爆者の八幡照子さん(87)
8歳の時、爆心地から約2.5キロ離れた祖母の家で被爆した。
【八幡照子さん】
「裏庭に下り立ったときにピカッと空がね、ものすごい光がした。
今、表現すると空一面、巨大な蛍光灯になったようで、地面に伏せようとしたまま意識を無くしました」
あの日にみた光景が今も頭から離れない。
【八幡照子さん】
「己斐の橋を渡った時、10人、20人、30人、100人とみな避難してくる。
(腕から)剥けた皮膚を両手にぶら下げたまま、爪の先から落ちないんです。
みんな無言で、泣きながらうめきながら逃げてくる。
それが一番、被爆後のショッキングな出来事だった」
【八幡照子さん】
「己斐の橋を渡った時、10人、20人、30人、100人とみな避難してくる。
(腕から)剥けた皮膚を両手にぶら下げたまま、爪の先から落ちないんです。
みんな無言で、泣きながらうめきながら逃げてくる。
それが一番、被爆後のショッキングな出来事だった」
閉ざしていた記憶を81歳のとき語り始めた。
【八幡照子さん】
「私たちの小学校が火葬場になった。あの燃えさかる炎や人を焼くにおい、このにおいだけは消えない。被爆後にもらったおむすびのおいしさ、忘れられない味とか覚えている最後の年代だと思う。悲しみとか目で見た残酷さ、悲鳴など絶対に私が伝えなければという思いにかられて」
【八幡照子さん】
「私たちの小学校が火葬場になった。あの燃えさかる炎や人を焼くにおい、このにおいだけは消えない。被爆後にもらったおむすびのおいしさ、忘れられない味とか覚えている最後の年代だと思う。悲しみとか目で見た残酷さ、悲鳴など絶対に私が伝えなければという思いにかられて」
「私にはまだやり残していることがある。それは原爆の真実を世界中に伝えること」
”世界中の人に自分の言葉で伝えたい”
証言は日本語と英語で行っている。
被爆者の八幡さんが若い世代に伝えたい思いとは?
【八幡照子さん】
『次世代に 最愛の家族に 核なき世界を!』
「一生懸命学んでいる人、一生懸命未来を夢見て働いている人たちのために、そして、大切に育てた子や孫たちのために核のない世界を渡したいと思います」
「つたえる つなげる ヒロシマ・ナガサキ」
”世界中の人に自分の言葉で伝えたい”
証言は日本語と英語で行っている。
被爆者の八幡さんが若い世代に伝えたい思いとは?
【八幡照子さん】
『次世代に 最愛の家族に 核なき世界を!』
「一生懸命学んでいる人、一生懸命未来を夢見て働いている人たちのために、そして、大切に育てた子や孫たちのために核のない世界を渡したいと思います」
「つたえる つなげる ヒロシマ・ナガサキ」