若桜鉄道 株式会社(鳥取県)
今回は、山間を走る19.2㎞の鉄道路線を運行する鳥取県のカンパニー「若桜鉄道」が登場!赤字が続き、廃線の危機に追い込まれる中で、カンパニーの運命を変えた1人の男性。何十年も放置されたSLを方向転換させるための「転車台」の復元作業をたった1人でスタート。やがてその活動に賛同する人が集まり、転車台は見事に復活。国の登録有形文化財に登録されるなど、日本中から注目される観光資源へと生まれ変わる。今回はローカル鉄道の逆転物語に隠されたそ~だったのか!に迫ります。
若桜町と八頭町を結ぶ全長わずか19.2kmの「若桜鉄道」。1930年に、旧国鉄若桜線として開業。長年にわたり、地域の暮らしを支え続けていましたが、人口減少と車社会の波に飲まれ、利用者が減少。1987年の国鉄民営化を機に廃線が決定しました。しかし、豪雪地帯に暮らす住民たちにとって鉄道は命綱。自治体と民間が手を組み、第三セクターの「若桜鉄道株式会社」を設立し運営を続けますが、赤字は解消されません。そんな中、八頭町出身で、東京でJRの運転士として働いていた山根徹さんが久しぶりに帰郷。終着駅の若桜駅で目にしたのは、何十年も放置された「転車台」だったのです。山根さんは転車台の管理者であるカンパニーに「復元させてほしい」と申し入れをし、復元作業を始めました。
2002年、転車台の復元作業をスタートさせた山根さんですが、費用は全て自己負担。2カ月に一度、東京から6時間かけ作業に通い、たった一人で土砂を運び出し、錆びた鉄と向き合い続けました。1年経った頃、「一緒にやらせてほしい」と声を上げる住民たちが現れ、作業開始から4年半で復元が完了。転車台と、SLに水を供給していた給水塔を蘇らせたのです。2008年、若桜駅の転車台など23の施設や設備が国の登録有形文化財に登録。さらに、かつて若桜鉄道を走っていたSLも復活させることになり、数百万円にものぼる運搬費は、町の人々からの寄付でまかない、SLが若桜駅に戻ってきたのです。転車台とSLの復活で観光客が増加。2009年度、カンパニーは初めての黒字化を達成したのです。