ヤマノ 株式会社(島根県)
今回は、私たちの食卓を陰で支える島根県安来市の粉末食品カンパニー「ヤマノ」が登場!1942年に町のしょうゆ店からスタートしたカンパニーは、いち早く食文化の変化を感じとり「粉末化」へ乗り出す。巨大な乾燥機を導入して、しょうゆの粉末化を目指すも大失敗。乾燥機の中でしょうゆが焦げてしまうというトラブルが…しかし、この偶然の失敗がきっかけとなり奇跡の大逆転を遂げたカンパニー。今や「粉の匠」として全国の食品メーカーから信頼される粉末食品カンパニーのそ~だったのか!に迫ります!
調味料・スープの素・香りづけなどに欠かせない粉末食品。「ヤマノ」は、しょうゆや味噌、海産物などを使って、300種類以上の粉末を製造しています。1942年にしょうゆ店として創業。高度経済成長の波に乗り、しょうゆの売れ行きは順調でしたが、海外の様々な文化が日本に入り込み、しょうゆの需要が減っていく兆しを感じ始めていました。そんな中、1963年、液体を霧状にして乾かす、高額なスプレー乾燥機を導入し、「しょうゆの粉末化」に踏み出しました。しかし、ある日、液体のしょうゆを乾燥機の中で大量に焦がしてしまったのです。焦げの原因は、しょうゆの量だけでなく、その日の温度・湿度も影響していました。当時のカンパニーには、そうした繊細な調整のノウハウがほとんどなく、失敗してしまったのです。
失敗作となった焦げた粉末しょうゆですが、苦味と強い香ばしさは感じるものの、決してイヤな味ではなかったのです。「たとえ焦げていても、何か可能性があるのでは」と、捨てずに残しておいていた在庫はついに1トンに。そこでカンパニーは、焦げた粉末のサンプルを手に、全国の食品メーカーを回り始めました。すると、おかきやスナック菓子などに使われる風味づけの粉をつくる香料メーカーが興味を示したのです。在庫の多くを買い取ってくれ、継続的な発注も入りましたが、またしても、思わぬ問題が。焦げを狙って再現することは、想像以上に困難を極めたのです。しょうゆの噴霧量・外気温・熱風の温度などの条件を細かく洗い出し、何度も調整を繰り返すこと1年。ついに「焦がししょうゆ」の再現に成功し、レシピを確立。1972年、安定供給が実現しました。1986年にはインスタントラーメンのスープに正式採用され、焦がししょうゆパウダーは年間100トンを製造。見事なV字回復を果たしたのです。