株式会社 上万糧食製粉所(広島県)
少女の願いが老舗を変えた!
昭和3年創業、広島の製粉所「上万糧食製粉所」。“ウエマン”の愛称で親しまれ、戦後はきな粉で人々の暮らしを支えてきました。しかし食文化の変化で、きな粉の需要は減少…。そんなある日、ひとりの少女がこぼした「一度でいいからフライが食べたい」という一言が、カンパニーを大きく動かします。挑んだのは、前代未聞の“パン粉づくり”。伝統を守りながらも挑戦を恐れないカンパニーの物語が始まります。
今回は、老舗製粉所の知られざる挑戦のそ~だったのか!に迫ります。
昭和3年創業の「上万糧食製粉所」。焙煎した大豆を粉にした「きな粉」を看板商品とし、家庭用や大手お菓子メーカーの業務用としても広く使われています。しかし、食文化の変化、和菓子業界の衰退により、きな粉の販売量は20年前と比べて半分以下に。次のヒット商品を生み出すため、模索を続けていました。そんな時出会ったのが、小麦アレルギーの少女。揚げ物に使われるパン粉には小麦が含まれているため、その少女はフライを食べたことがなかったのです。そこでカンパニーは、小麦の代わりに米粉を使ったパン粉をつくることを決意。3年に渡る試行錯誤の末、2011年「米粉フレーク」が完成。フレークを衣に使うことで、小麦のパン粉に負けないサクサク食感を実現。小麦アレルギーの人にもフライを食べてもらいたいと販売を始めると、多くの人からの感謝の声が届いたのです。
小麦を使わないパン粉「米粉フレーク」の発売から6年。ニーズが限られ、思うように売り上げが伸びず、ついには「生産終了」の声が上がり始めていました。そんな時、カンパニーはイギリスで開催された食品イベントに「米粉フレーク」を出展。すると、「グルテンフリー」という新たな価値で注目を浴び、イギリスのメディアに取り上げられたのです。グルテンフリー市場は、2000年代に入ってから急成長。この波を見逃さなかったカンパニーは海外進出を本格化させる決断をしました。国際基準の安全性を満たすため、小麦製品専用の工場を新設し、グルテンフリー商品を完全分離。「米粉フレーク」から「WA-PANKO」と名前を変え、世界23カ国で販売を始めると、カンパニーを代表する主力商品へと大きく成長を遂げたのです。