【戦後80年】硫黄島で米海軍が空母離発着訓練公開 訓練の目的は? 20代記者が見た激戦地の今 広島

5/26(月) 19:30

太平洋戦争末期、日本軍とアメリカ軍が激しい戦闘を繰り広げた島で、アメリカ軍岩国基地の空母艦載機などが訓練を行っています。戦後80年を迎えた島での訓練をツイセキします。

”けたたましい爆音” 激戦の地で行われた FCLP=陸上空母離着陸訓練

【山北陸斗記者】
「飛行場の滑走路を空母の甲板に見立てた離発着訓練が行われています。やってきたのは、アメリカ海軍所属の戦闘機。ものすごい速さ、そして爆音を響かせています」

車輪が滑走路についた瞬間に、再び飛び立つことから「タッチアンドゴー」と呼ばれる「FCLP=陸上空母離着陸訓練」は、空母艦載機のパイロットが着艦資格を取得するために行われるものです。

訓練が行われたのは、広島から1300キロ以上離れた「硫黄島」。

訓練には、アメリカ海軍の空母「ジョージ・ワシントン」の艦載機が参加し、このうち最新鋭のステルス戦闘機「Fー35C」は、日本に配備されて初めての訓練となります。

体が覚えるまで続く”命がけの訓練”

空母への着艦は”まるで大海原に浮かぶ郵便切手に行うものだ”とたとえられるほど、難易度が高いもの。今月19日から31日までの訓練期間中、パイロットたちは体に染み込むまで繰り返し行うといいます。

そうした一方で、アメリカ軍は天候不良などで、硫黄島での訓練が実施できない場合は、岩国基地など日本の4つの基地で訓練を行うと日本政府に通達しており、訓練が”広島のすぐ近く”で行われる可能性もあるということです。

硫黄島で訓練を行う理由とは?

【加藤雅也アナ】
ここからは現地で取材した山北記者に伝えてもらいます。なぜそもそも硫黄島で訓練を行っているのですか?

【山北陸斗記者】
まず、アメリカ軍は硫黄島で訓練をするメリットについて、「太平洋上に浮かぶ孤島が、海上を動く空母の環境と似ているため、実践に近い訓練が出来る」としています。

一方で、訓練は常に危険ととなり合わせです。硫黄島は、万が一、トラブルが発生した際に、対応できる設備が島の近くにありません。そうした中での訓練ということで、アメリカ軍は有事にも備えられるよう、「本州に近く、かつ騒音の迷惑にならない場所を選定してほしい」と日本政府に要望しています。

【岡野唯アナ】
確かに戦闘機の音は凄まじいものがありましたね。

【山北陸斗記者】
私は耳栓をしていたんですが、それでも体の中まで貫くような轟音でした。

訓練の移転先は”鉄砲が伝わった島”のすぐ近く

【岡野唯アナ】
訓練先の移転は検討されているんですか?

【山北陸斗記者】
実は、すでに決まっているんです。政府はアメリカ軍の要望に応えて、鹿児島県の種子島に近い、無人島の馬毛島(まげしま)に移転することを決めました。現在、滑走路など基地の建設が進められていますが、日本全体で負担をどうするかとの声も上がっています。

激戦の地・硫黄島

【加藤雅也アナ】
硫黄島は太平洋戦争で、旧日本軍とアメリカ軍の激戦地でもありますね。

【山北陸斗記者】
そうです。映画でも描かれたことがありますが、太平洋戦争末期の1945年2月、本土防衛の最前線となった硫黄島では、激しい戦闘が繰り広げられました。約1カ月の戦いで、日米合わせて2万8000人もの尊い命が失われました。

”もう二度と故郷に戻れない人を作らないために”

【加藤雅也アナ】
戦いの爪痕は80年経った今も残っていましたか?

【山北陸斗記者】
自分が想像していた以上にたくさん残っていました。まず犠牲者を追悼する慰霊碑が、島の至るところに作られていました。そして、戦争中に使われた地下壕や船の残機、機関銃などが今も残ったままです。また、亡くなった旧日本兵のうち、半数近くの遺骨が未だ島内に眠ったままで、遺骨の収集が進められています。

かつて、硫黄島には約1100人の民間人が住んでいましたが、戦争でふるさとを
離れるよう迫られました。今も、硫黄島では民間人の立ち入りが制限されていて、旧島民の人々が故郷へ戻ることは、戦後80年経った今も叶っていません。

日本や世界を取り巻く環境はこの80年で大きく変動していますが、実際に激戦地を訪れてみて、改めて”同じ過ちを繰り返してはならない”と感じました。