広島大学のキャンパスにアイダホ大学の日本校が開校 被爆者小倉桂子さんがつないだ絆 

9/29(火) 18:58

8月、広島大学の東広島キャンパスにアメリカのアイダホ大学の日本校が開校しました。
その交流のきっかけには1人の被爆者の存在がありました。

今年3月、広島大学で行われていたのは、アメリカのアイダホ大学日本校の除幕式です。
日本では初めてとなる工学分野に特化した外国大学の日本校で、国が力を入れている半導体分野でのグローバルな人材育成を目指し設置されました。
新キャンパスを見学するアイダホ大学と広島大学の関係者たち。

【広島大学・越智光夫学長】
「信頼がありますので、うまくいけるのではないかと考えて一緒にやろうということになりました」

【アイダホ大学 スコット・グリーン学長】
「彼を信頼しています。パートナーとして我々を選んでくれたことも本当にうれしいです。これから協力して様々なことに取り組みます」

築かれた確固たる絆には歴史と交流がありました。

雄大な小麦台地が広がるアメリカ北西部アイダホ州にあるアイダホ大学。
全米最高ランクの歴史ある総合研究大学です。

2022年、その大学に1人の被爆者が広島から招かれました。
小倉桂子さん、当時85歳。
アイダホ大学で日本語教師をする女性が被爆証言を依頼したのです。
原爆を落とした国の比較的保守的な街に被爆者が来る。
街では大きなニュースでした。

【アイダホ大学 日本語プログラム担当・東條 梓さん】
「小倉さんが来ていただいて小倉さんの声で話をしてもらうことにすごく大きな意味があると思う」

小倉さんは、8歳のとき爆心地から2.4キロで被爆。

【小倉桂子さん(当時85)】
「原爆が落ちた時、突然閃光が走りあたりは真っ白になった」

40年以上、国の内外で英語で直接語り続けてきた小倉さんは、大学の様々な場で相手の目線に合わせメッセージを送りました。
原爆で戦争が終わり、多くの命が助かったと教育されてきた人たち。
それは初めて知ることばかりでした。

【小倉桂子さん(当時85)】
「どうか一緒に私たちに何ができるかを考えてください」

小倉さんの蒔いた平和の種は、確実に芽吹き、広がっていきました。

【アイダホ大学 文学・芸術・社会科学学長 ショーン・M・クインラン博士】
「アイダホ大学にとっても学生や地域社会にとっても本当に素晴らしい機会でした。今の世界情勢においてはとても重要なことです」

半年後、アイダホ大学の関係者が平和公園にいました。
広島との縁を大切にしたいとはるばるやってきたのです。

【小倉桂子さん】
「私はここにいたの。ちょうどここにいたの」

小倉さんは、より詳細に過去を証言しました。
一行は慰霊碑にも花を手向けます。

【松井一実市長】
「“過ちは繰り返しませんから”という碑文を読まれたと思うが、ある意味これにすべてがこもっていると受け止めています」

自治体とも交流し広島との関係を深めていきました。

このとき、広島大学も訪れました。
実は、二つの大学には深い縁があったことが判明したのです。
アイダホ大学の図書館にあったのは1951年の書類でした。
戦後、広島大学は世界の大学へ手紙を送っていました。

(戦後、広島大学がアイダホ大学に送った書簡)
「世界最初の原子爆弾により荒廃し、焼野原になった大学をみずみずしい緑色に染めたいので協力をお願いしたい」

アイダホ大学がそれに応え3ドルと種子、本を寄贈したことが記録に残っていました。
本は、今も大切に保管されています。

こうした世界の大学の協力で広島大学と街には緑が増えていき復興の一助になったのです。
過去の縁をきっかけに2つの大学は交流を始めました。
世界の大学から寄付された樹木たちは「平和大使」と名付けられ、今もキャンパスに生きづいています。

【アイダホ大学日本語プログラム担当・東條梓さん】
「学生同士の交流が実現できたらいいなと一番に思います。人と人とのつながりからそのレベルから何か大きくつながりができたらなと思います」

この年、二つの大学は「学術交流協定」を締結。
環境や平和をテーマに学生や研究者が幅広く交流していくことが決まりました。

【広島大学・越智光夫学長】
「平和を希求する精神が連綿と受け継がれてきょうにいたって、大変うれしく思うと共に歴史の重みを感じる」

2023年の夏。
一部の学生も来日し、平和記念式典に参列。
訪れた学生たちは、半年をかけて授業の中で小倉さんの被爆体験の紙芝居を英語に翻訳し、広島大学で披露しました。

【アイダホ大学の学生】
「小倉さんは大切な思い私に伝えました。その思いはみなさまに伝えたい」

その後も・・・

【被爆者・切明千枝子さん(現在96)】
「平和を何より大事にすると頑張っていかないと危ないことになるんじゃないかと大変恐れています」

毎年、日本語クラスの学生が様々な被爆者の証言を聞く機会を作ってきました。

学んだことを、地元の若い世代へ伝える活動も続けています。
さらに2つの大学では学生同志の交流もスタート。
広大生がアイダホ大学を訪れ、文化に触れる機会も。
交流を機会にアイダホ大学内に手作りの鳥居も作られました。

一方で、アイダホ大学の学生が小倉さんの被爆証言を聞く機会を作り続けていました。
そこには、対話から学ぶ姿がありました。
時間をかけ交流を積み重ねてきた関係者は。

【アイダホ大学 文学・芸術・社会科学学長 ショーン・M・クインラン博士】
「これは私が取り組んできた中でもっとも充実感を感じたものの一つだと思います。今ここでやっていること、大学や自治体と連携して行っていることは、学生たちが交流や理解を深める機会を生み出すもの、世界に変革をもたらす可能性を感じています」

【アイダホ大学日本語プログラム担当・東條梓さん】
「アイダホ大学の関係者が広島の人たちに惹かれた。一緒に平和を築いていきたいという思いが強かったというのが今思っています。相互交流が大きな平和の一歩につながる」

そして、先月。

【アイダホ大学 スザンナ・ロング工学部長】
「ようこそMESA(半導体分野のプログラム)へ」

広島大学にアイダホ大学の日本校が開校。
人材育成でも新しいスタートを切りました。
学生は、最初の2年間を広島大学で、残りの2年間をアイダホ大学で学びます。

小倉さんの平和の種まきを機に築かれた二つの大学の絆は、若い世代へバトンをつないでいきます。