被爆死した捕虜兵の調査をしてきた故・森重昭さん 彼の活動を支え、その遺志を継ぐ妻の想いに密着 広島

8/6(木) 20:02

特集です。
TSSライクでは「つたえるつなげる平和への一歩」と題して継承について考えています。

被爆者の平均年齢は86.66歳、年々、被爆者が減る中、今年、被爆死した捕虜兵の調査をしてきた森重昭さんが道半ばで旅立ちました。

彼の遺志を継ぐ妻の想いに迫ります。

【原爆死没者名簿奉納】
6日の平和記念式典で、慰霊碑に納められた「原爆死没者名簿」
そこには、去年8月6日から今年8月5日までに亡くなった被爆者の名前が記されています。その1人、森重昭さん。今年3月、88年の生涯を終えました。

10年前、現職のアメリカ大統領として初めて広島を訪れたオバマ元大統領。
面会に招かれた被爆者の一人、森さんと会話した後、抱擁する姿が世界に伝えられました。8歳の時、爆心地から2.5キロの己斐で被爆した森さん。

サラリーマンの傍ら、広島で捕虜となっていたアメリカ兵12人が被爆死した事実に衝撃を受け調査に奔走しました。当時、アメリカでは、原爆で犠牲になったアメリカ兵がいることは、公にはされていませんでした。

【森重昭さん】
「僕はこれに40年かけた。ありとあらゆる全部の資料、を見て体験者を聞いて歩いた」

遺族を捜し出し、その遺影を追悼平和祈念館に登録してきました。

【森重昭さん】
「二人の人が原爆で亡くなったと。これがダビンスキー氏」

これまでに登録した遺影は被爆死したアメリカ兵だけで12人。彼らが収容されていた中国憲兵隊司令部跡地に銘板も設置し慰霊してきました。

【森重昭さん】
「(原爆に)国境はありません。少しでも平和のために役立つことを自分の命がある限り続けてみよう」

晩年は長崎の原爆で亡くなったオランダ兵2人の遺族を捜していました。

【森重昭さん】
「あと二人だけね。登録したいと強く願っています」

しかし、登録できぬまま、この世を去りました。

重昭さんの妻、佳代子さん。

【森佳代子さん】
「こうして1人でいるといないんだと。ましてやご遺骨がこうあるとね、いないんだよなぁって」

重昭さんの活動を支えてきた佳代子さん。

Q奥様と何歳違いますか?
「5歳」
Q二人三脚ですね。
「ははは」

佳代子さん自身も3歳のとき、爆心地から4.1キロの草津浜町の自宅で被爆。倒れた戸の下敷きになりました。

【森佳代子さん】
「3歳の被爆だからね、実際にはね事実を覚えていないんです。だから父がね、大やけどをして帰ってきて、それで目の前で見てる」

原点にあるのは父親。父(の増村朋一さん)は、市議会議員を務め、被爆者援護に尽力しました。

市議会史より「原爆医療法改正に向けて」「増村副議長」「関係方面に陳情」「被爆者の医療費負担を事実上無くすことに道を開いた」

【森佳代子さん】
「ケロイドを見せて、厚生省の役人の前で半袖は絶対着なかった人が『裸になって見せたよ』っていうことで援護法の予算がとれたって」

最愛の父が亡くなった年に、見合いで出会ったのが重昭さん。人に尽くす姿が父と重なりました。

【森佳代子さん】
「重昭が亡くなって『はいこれでもう終わりですよ』ということは本当に考えられませんでした。継承していくということは私の責任。役回り」

重昭さんが亡くなって2カ月。この日初めて1人で登壇した佳代子さん。

【森佳代子さん講演】
「命こそ宝だ。戦争をしてはいけない。人間同士敵も味方もない。原爆の悲劇に国境はない。平和こそ一番大切です」

伝えるのは重昭さんの言葉。

【森佳代子さん】
「これ、重昭が書いた字です。まぁよく調べて。彼が言ってた、常に言ってたのは裏を取る」

重昭さんが書いた本を読み、50年の歩みを改めて振り返る日々です。

【森佳代子さん】
「聞きたいことは全部ここから答えが返ってきます。でも聞くことができない。肩の荷が重い」

【森佳代子さん】
「私は森重昭の妻です」

アメリカから来日したロバート・タタロヴィッチさんと娘のヘイリーさん。タタロヴィチさんの伯父ジョセフ・ダビンスキーさんは被爆したアメリカ兵の1人です。享年27。
家族は重昭さんのおかげでその最期を知りました。

【ロバート・タタロヴィチさん】
「これは森さんが私の家族に送ってくれたFAXです」
【森佳代子さん】
「すごい残ってる」

佳代子さんの案内で向かった追悼平和祈念館。そこにあったのは、重昭さんが登録したダビンスキーさんの遺影でした。

【ロバート・タタロヴィチさん】
「森さんのおかげで私の家族の歴史が変わりました」

ダビンスキーさんが被爆した場所も訪れました。

【森佳代子さん】
「これがダビンスキーさん、この人です」
【ロバート・タタロヴィチさん】
「言葉もないです、彼の愛情に言葉も見つからない」

【森佳代子さん】
「これだけのことを調査してきてその一念は、ご遺族に自分が知ったことを知らせたい。本当はきょう、重昭本人がここにお連れしたかったととても思います」

【森佳代子さん】
「なんか嘘みたい」

先月下旬、佳代子さんは重昭さんの遺影を登録しました。

この日、思わぬ映像を見つけました。35年前に撮影された重昭さんの被爆証言。さらに手書きの被爆体験記も残されていました。重昭さんが81年前に目にした地獄のような光景。このときの怒りが重昭さんの活動の原点でした。

【森佳代子さん】
「重昭が後を頼むでって言ったような気がしました」

Q,佳代子さん、若い人にとって一番大切なメッセージはなんだと思いますか?
【森佳代子さん】
「何よりも大切なのは平和、ピースです。いろんな人にメッセージとして発信してまた行動していただきたい」

重昭さんとともに佳代子さんはそのバトンを繋ぎます。