”生きているつらさ”はある” 78年間語れなかった 93歳の被爆者 両陛下に伝えたい思い 広島

6/17(火) 12:00

戦後80年にあたり,天皇皇后両陛下が今月19日から被爆地・広島を訪問されます。両陛下との懇談に臨む予定の、1人の被爆者の思いに迫ります。
原爆で犠牲となった旧制中学の生徒や職員369人を追悼する、慰霊碑の前でたたずむ1人の男性。才木幹夫さん、93歳です。

【才木幹夫さん】
「ここに来るたびに申し訳ないという気持ちがわく」
「1945年8月6日、午前8時15分」

一発の原子爆弾は広島の街を焼き尽くしました。1945年12月末までに亡くなった人は推定で14万人に上ります。

当時13歳だった才木さんは、爆心地から2.2キロ離れた自宅で被爆。本来なら爆心地近くで、学徒動員作業にあたる予定でした。

【才木幹夫さん】
「(爆心地から約800m離れた場所で)作業するはずだったのが、6日が休みで助かった。」

作業に出た下級生のほとんどは亡くなりました。

【才木幹夫さん】
「なんで僕が生きてるんだろうと思うことがある。”生きているつらさ”はある」

「生きているつらさ」に苦しみ、戦後78年間、あの日のことを語ることはありませんでした。
しかし、ロシアによるウクライナ侵攻が才木さんを突き動かしました。

【才木幹夫さん】
「核を脅しに戦争をしているのはいけないと思って、これは(証言を)やらなければならないと」

去年、79年の時を経て語り始めました。

【才木幹夫さん】
「被爆者たちが男女の区別が分からないぐらい、大変な格好をしています。頭が真っ黒で、膨れあがってもう目も開けられない状態」

あの日の惨状を伝えています。
語り始めた才木さんに大きな依頼が飛び込んできました。広島を訪問される、天皇皇后両陛下との懇談の場に呼ばれたのです。

【才木幹夫さん】
「本当に光栄なことだと思った。”死ぬも地獄、生きるも地獄、後ろめたさ”をずっと背負って生きていること、被爆のそのままを伝えなければならない」

戦後80年。才木さんは今ある平和が崩れぬよう、自らの思いを両陛下に伝えるつもりです。