【広島あの日のきょう】映画監督 新藤兼人さん死去(2012年)日本映画の巨匠 100歳、生涯現役貫く

5/29(木) 18:37

「あの日のきょうにずきゅん」テレビ新広島、放送50年の歴史の中から、あの日のニュースを振り返ります。

今から13年前の2012年5月29日、『原爆の子』などで知られる映画監督で脚本家の新藤兼人さんが、都内の自宅で老衰のため亡くなりました。100歳でした。

新藤兼人監督は、今の広島市佐伯区の出身で、1951年に監督デビュー。
原爆の悲劇を描いた代表作『原爆の子』や95歳の時に自らの幼少体験を描いた『花は散れども』の撮影で、故郷・広島でもメガホンをとりました。

2002年に文化勲章を受章、広島県の名誉県民に選ばれたほか生涯現役を貫いた映画作りは国際的にも高く評価されていました。

【蔵本順子さん】
「新藤さんは一作品一作品、命も気力も削るように、つくらねばならない、観ていただかなくてはならない作品を撮り続けていたので、その姿勢を今の若い映画人がちゃんと受け止めてもらいたいと思う」

自身の戦争の体験を映画で伝え続けた新藤さんの想いは、これからもフィルムの中で生き続けます。