病を押してノーベル平和賞授賞式へ 日本被団協代表理事 田中聰司さん 平和を訴える続ける思い

2/25(火) 20:30

「とにかく核兵器保有国を動かすこと」

去年、ノーベル平和賞の授賞式に参加した被爆者・田中聰司さんですが、帰国後、体調を崩し一時、入院していました。
病を患いながらも活動を続ける強い思いを取材しました。

去年12月、ノーベル平和賞の授賞式が開かれるノルウェーの首都オスロ。
日本被団協の代表団の1人として空港に降り立ったのは広島の被爆者田中聰司さん、80歳です。
日本被団協の代表理事を務めています。

【田中聰司さん】
Q:どんなことを伝えたい?
「とにかく核保有国を動かすこと。まず核兵器を使わせない、少しでも減らしていく。そういう方向にリーダーたちをどうやったら動かしていけるかを本気で考えるきっかけにしたい」

山口県下関市で生まれた田中さん。
原爆投下の2日後、母親に連れられて親族が暮らす広島市を訪れ、被爆。
いわゆる「入市被爆」です。
1歳5か月でした。

田中さんは、物心ついたころから被爆者としてある悩みを抱えて生きてきたといいます。

【田中聰司さん】
「広島から出て初めて東京に行くと、全国の人が集まる中で自分の立ち位置みたいなものがわかってくるじゃない。俺、被爆者なんだと」

東京の大学に進学し、自分が被爆者であることに直面します。

【田中聰司さん】
「仲のいい友達と一緒にお風呂に入って隣で体を洗っていたときに、『田中、放射能ってうつらないんだろ?』って言った。精神的に、俺被爆者で差別されたと思った最初」

60歳を過ぎて日本被団協に加入し活動続ける

その後は被爆者であることを隠して生活するようになりました。
大学卒業後は広島に戻り地元の新聞社に就職。
被爆者の取材もする中で、ある時、転機が訪れました。

【田中聰司さん】
「被爆者たちが被爆を自分の問題だけでなくて人類の問題としてとらえて、人類の危機を救おうと活動している人がいるんだ、そういう人に感銘を受けた。これじゃいけないと思って」

60歳を超えた2006年に「日本被団協」に加入し、およそ20年、活動を続けてきました。

【田中聰司さん】
「死体を焼く異様な臭いと(人の)泣き声の中で、私と母の暮らしがしばらく続くんですよ」

田中さんは、原爆の影響などで50歳を過ぎてから食道がんなど、6つのがんを患い、今も治療を続けています。

【医師】
「呼吸器の症状が一番気になる」
【田中さん】
「今の3種類飲む以外にないですか?」
【医師】「あれでいいと思うよ」

妻・波子さんも心配の日々です。

【妻・波子さん】
「私ここのところ寝てないからね、ずっとこの人の番で。呼吸がとまったら大変だと思って」

【田中聰司さん】
「逆流するんですよ、枕を高くしていないと。食べたものが逆流して。胃液がないでしょ」

ノルウェーから帰国後、心臓手術のため入院

万全とはいえない体調でノルウェーに向かいました。
そして迎えた授賞式…現地では高校生たちとも交流し、核兵器廃絶への思いを強く訴えました。

【田中聰司さん】
「私は今回表彰を受けに来ましたけど、喜び半分、恥ずかしい気持ちと悲しい気持ちが半分です。なぜなら私たち被爆した国の政府が核兵器を禁止しよう、世界の被害者を援護しようという法律にそっぽを向いているからです」

【高校生】
「日本政府が被爆者への補償を拒む最大の理由はなんだと思いますか?」

【田中聰司さん】
「アメリカの核兵器に頼っていれば安全だという考え方を直さない、直す意思がないからだと思います」

田中さんは若者たちに「被爆80年に向けて声を大きくしていこう」と呼びかけました。
年が明けた先月26日、ノーベル賞受賞の報告イベント。
本来いるはずの田中さんの姿がありません。
オスロでの1週間にもおよぶ多忙なスケジュールで、田中さんの体は限界を迎えていました。

【田中聰司さん】
「オスロに行って疲れたんだろうということで、心臓の方がやぶれちゃってね…ほおっておいたら危ないからということで」

疲労がたまり心臓の病気を患った田中さん。
先月手術し、3週間入院を余儀なくされていたのです。
病を押して参加したオスロでの授賞式。
世界の目が向けられる中、核兵器廃絶に向けた機運が高まってほしい、そんな期待もありましたが…
日本政府は来月開かれる核兵器禁止条約の締約国会議への「オブザーバー参加」を見送ったのです。

【田中聰司さん】
「ノーベル委員会が求めた方向と逆行して悪化している。被爆者だけがいろいろ言ってもね。これではとてもやりきれない状況」

田中さんは「今こそ、政府が条約に参加して核保有国との橋渡しをするべきだ」と考えています。
田中さんの強い思いは変わらず、退院後、すぐに活動を再開しました。

【田中聰司さん】
「核保有国を動かすような要請行動を被爆地ぐるみでやっていかないといけない」

原爆投下から80年。
核兵器の脅威が高まる中、田中さんはこれからも被爆の実相を伝える覚悟です。

「核兵器減らす行動のリーダーシップは日本がとらなければ」

《スタジオ》
被爆者のメッセージは大切にしなければいけませんね。

【コメンテーター:広島大学大学院・匹田篤准教授】
「私たち一人一人が活動していかなければなりません。核の傘、抑止力は冷戦時代から使われている言葉ですが、世界のパワーバランスが変わってきています。抑止力に関してもう一度考えなければならない。核兵器を減らす行動のリーダーシップは日本がとらなければいけない」