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Hiroshima Peace Program

被爆地にたつ孤児収容所~2千人の父、上栗頼登~(2021年8月6日放送)

戦争で傷つけるのも 傷つくのも
そして 手を差し伸べることが出来るのも 同じ「人間」だ

【ナレーション】小林克也 【朗読】吉永小百合

人類史上初の被爆地・広島の放送局として、開局以来、核兵器廃絶と平和の実現を目指して番組を発信してきたテレビ新広島(TSS)が、2022年3月31日から、「Hiroshima Peace Program TSSアーカイブプロジェクト」の第6弾作品として、TSS報道特別番組『被爆地に立つ孤児収容所~二千人の父、上栗頼登~』(2021年8月6日放送)の英語版を世界に向けて配信する。

【番組内容】

原爆により一瞬にして焦土となった広島。その廃墟の中で終戦からわずか2カ月後、26歳の青年・上栗頼登(かみくり よりと)が孤児収容所「広島新生学園」を自費で開設した。施設は原爆孤児や戦災孤児、引き揚げ孤児、戦争で身寄りをなくした子どもたちでいっぱいになった…。かつて焦土にあった施設の知られざる歴史を辿るとともに、多くの子どもたちが戦争に翻弄されたこと、そして現在につながる平和への願いを伝える。

【ディレクター:深井 小百合(ふかい さゆり)】

5年程前「スポーツによる集団指導で少年少女の更生に成果をあげている施設がある」と聞いたのが広島新生学園(現・東広島市)との出会いでした。実際に学園を訪ねると、原爆慰霊碑、被爆した石、納骨堂など戦争に関するものが園内に多くのこされていることに気が付きました。施設はかつて爆心地近くの広島市中区基町にあり、今の場所へと移転してきました。

私は広島市中区出身の被爆3世ですが、広島新生学園の事は初めて知り、全国の被爆者団体へのアンケート調査も実施しましたが、「名前も聞いたことがない」という人が大半。さらに取材をすすめるうちに驚いたのは、戦後、孤児がどうやって生きてきたのかを残したものが非常に少なかったことです。自分が生きるだけで精一杯だったはずのこの時代に、なぜ上栗さんは子供たちに手を差し伸べたのでしょうか。

今も世界の各地では、紛争や争い事が絶えません。果たして私たちは上栗さんのように助けを求めている「小さな声」に耳を傾けることが出来ているのか、いまこそ考えてみる機会なのかもしれません。 取材を通して、争いで傷つくのも、傷つけるのも、そして手を差し伸べることが出来るのも同じ「人間」なのだと改めて気付かされました。原爆の廃墟から立ち上がるために尽力した、知られざる1人の市民の思いと苦難。それを「いま伝えなければこのまま埋もれてしまう歴史」だと感じ、残された数少ない資料を手掛かりに番組を制作しました。

《深井 小百合(ふかい さゆり)プロフィール》

広島市中区出身の被爆三世。祖母は広島市南区で被爆。2009年に三重テレビ放送に入社。2011年にニュース特集「女川の中学生が鈴鹿へやってきた~少女が見た大震災~」を制作し、中部写真記者協会賞のテレビ・映像部会ニュース企画部門で優秀賞を受賞。その後、四日市公害を取材、共著に「空の青さはひとつだけ」。2015年からテレビ新広島・報道部に所属。県警や県政、デスクなどを担当し、西日本豪雨の被災地なども取材。中学・高校時代は放送部に所属し、2015年から広島県高等学校放送文化コンクール県大会の審査員を務める。

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