広島城の天守 老朽化で3月22日閉城 意外と知らない『広島城の歴史』を深堀り!
2/23(月) 20:00
「ひろしま満点ママ!!」から気になる情報をお届けするコーナー。
今回は、老朽化などにより来月22日に閉城する「広島城の天守」について詳しくお伝えします。
【村上果穂リポーター】
やってきました。広島城!
3月22日に天守が閉城ということで、今回、何はともあれその天守に向かってみましょう。
もうすぐ入れなくなってしまう天守を、しっかりと味わいたい!力強い助っ人、広島城学芸員の本田さんに、案内していただきます!
今回は、老朽化などにより来月22日に閉城する「広島城の天守」について詳しくお伝えします。
【村上果穂リポーター】
やってきました。広島城!
3月22日に天守が閉城ということで、今回、何はともあれその天守に向かってみましょう。
もうすぐ入れなくなってしまう天守を、しっかりと味わいたい!力強い助っ人、広島城学芸員の本田さんに、案内していただきます!
【広島城 学芸員 本田美和子さん】
「ちょっとこちらの模型の方に来ていただけませんでしょうか。こちらがですね、江戸時代の広島城と、広島の城下町の模型になっておりまして、ここが、今私たちがいる天守になります。実は江戸時代の天守っていうのは、2つほど小さな天守がドッキングしておりまして、かなり立派な造りになっております」
【村上リポーター】
「この天守の中には誰かいたんですか?」
【本田さん】
「天守の方に人が住んでいるというわけではなくて、実はお殿様が住んでいたのは、この本丸の中、本丸御殿という御殿がありまして、こちらの方に、お殿様が住んでいました」
広島城の特徴のひとつとして平らな土地に建てられた「平城」があげられます。
【本田さん】
「真っ平らなので敵が攻めてきたら一気に攻め込まれてしまいますので、内堀の他に中堀と外堀の三重の堀に囲まれて守られているのが特徴です。東西南北が大体1kmあって、広さにすると90万平方メートル。私の好きなカープの本拠地、マツダスタジアムであれば25個くらい入る大きさになります」
「ちょっとこちらの模型の方に来ていただけませんでしょうか。こちらがですね、江戸時代の広島城と、広島の城下町の模型になっておりまして、ここが、今私たちがいる天守になります。実は江戸時代の天守っていうのは、2つほど小さな天守がドッキングしておりまして、かなり立派な造りになっております」
【村上リポーター】
「この天守の中には誰かいたんですか?」
【本田さん】
「天守の方に人が住んでいるというわけではなくて、実はお殿様が住んでいたのは、この本丸の中、本丸御殿という御殿がありまして、こちらの方に、お殿様が住んでいました」
広島城の特徴のひとつとして平らな土地に建てられた「平城」があげられます。
【本田さん】
「真っ平らなので敵が攻めてきたら一気に攻め込まれてしまいますので、内堀の他に中堀と外堀の三重の堀に囲まれて守られているのが特徴です。東西南北が大体1kmあって、広さにすると90万平方メートル。私の好きなカープの本拠地、マツダスタジアムであれば25個くらい入る大きさになります」
ところで、広島城の歴代城主はご存知ですか?
最初に広島に城を築いたのは、毛利元就の孫、毛利輝元です。
【本田さん】
「1589年から築城が始まりまして、10年ぐらいかけて広島城を完成させたという風に言われております。関ヶ原の合戦って徳川家康と石田三成のいざこざから始まるんですが、東軍の総大将は家康なんですけど、西軍の総大将、光成じゃなくて、この方(毛利輝元)だったんですね、実は。負けた方の大将なので、家康によって、広島城を追い出されてしまうということになります。そして、代わりに広島城の二代目の城主になる方がこの方になります福島正則。彼は、非常に秀吉に近い側近の武将だったのですが、石田三成が大嫌いだったので、関ヶ原の合戦では徳川方についています。その功績を認められて広島城の城主で入ってくるということなんですね」
この福島正則が、城下町としての広島を整えたと言われています。
そして、その後に城主となったのが、3代目城主、浅野長晟です。
この後、浅野家が幕末まで12代に渡って城主を務めることになります。
最初に広島に城を築いたのは、毛利元就の孫、毛利輝元です。
【本田さん】
「1589年から築城が始まりまして、10年ぐらいかけて広島城を完成させたという風に言われております。関ヶ原の合戦って徳川家康と石田三成のいざこざから始まるんですが、東軍の総大将は家康なんですけど、西軍の総大将、光成じゃなくて、この方(毛利輝元)だったんですね、実は。負けた方の大将なので、家康によって、広島城を追い出されてしまうということになります。そして、代わりに広島城の二代目の城主になる方がこの方になります福島正則。彼は、非常に秀吉に近い側近の武将だったのですが、石田三成が大嫌いだったので、関ヶ原の合戦では徳川方についています。その功績を認められて広島城の城主で入ってくるということなんですね」
この福島正則が、城下町としての広島を整えたと言われています。
そして、その後に城主となったのが、3代目城主、浅野長晟です。
この後、浅野家が幕末まで12代に渡って城主を務めることになります。
と、ここまでが広島城の基本。
ここからは現在開催中の企画展でもっと深く広島城に迫りましょう。
注目したのは、建物としての歴史。
実は昭和初期まで広島城は、江戸時代からの姿をそのまま残し、国宝に指定されていました。
しかし、1945年の原子爆弾投下により、天守は倒壊。
跡形もなくなってしまったのです。
ここからは現在開催中の企画展でもっと深く広島城に迫りましょう。
注目したのは、建物としての歴史。
実は昭和初期まで広島城は、江戸時代からの姿をそのまま残し、国宝に指定されていました。
しかし、1945年の原子爆弾投下により、天守は倒壊。
跡形もなくなってしまったのです。
【本田さん】
「戦後、天守が一瞬復活するときがあります。昭和26年に今でいう国民スポーツ大会、当時は国民体育大会と言ってたはずですが、それが広島で開かれまして、その関連イベントでで『体育文化博覧会』というイベントが開かれることになったんですが、そのシンボルタワーとしてですね、天守が復元されたんです」
【村上リポーター】
「天守の前に何か走っていますよ?」
【本田さん】
「これは、今でいうジェットコースターです。当時は『スイッチバックレールウェイ』と言ってたんですけども」
【村上リポーター】
「かっこいい言い方!」
【本田さん】
「はい。なぜかお城の周りに当時人気だったこの乗り物が作られまして、すごい人気だったみたいです
ただこの2代目天守、仮設の天守だったため1年も経たずに解体されています。
「戦後、天守が一瞬復活するときがあります。昭和26年に今でいう国民スポーツ大会、当時は国民体育大会と言ってたはずですが、それが広島で開かれまして、その関連イベントでで『体育文化博覧会』というイベントが開かれることになったんですが、そのシンボルタワーとしてですね、天守が復元されたんです」
【村上リポーター】
「天守の前に何か走っていますよ?」
【本田さん】
「これは、今でいうジェットコースターです。当時は『スイッチバックレールウェイ』と言ってたんですけども」
【村上リポーター】
「かっこいい言い方!」
【本田さん】
「はい。なぜかお城の周りに当時人気だったこの乗り物が作られまして、すごい人気だったみたいです
ただこの2代目天守、仮設の天守だったため1年も経たずに解体されています。
【本田さん】
「その後、昭和32年になりまして、いよいよ広島の街が復興ができてきたということで、『広島復興大博覧会』というまたイベントを開くことになりました。そして、第三会場として、今のこの建物を再建しようということでで、出来上がったのが現在の天守です。見ての通り、天守って鉄筋コンクリートでできています。しかし、実は木造にする方がいいんじゃないかと意見もあったんですけども、当時は、鉄筋コンクリートの方が高かった。そして、広島って一度焼け野原になってるので木造だと火災に弱いんじゃないのかという意見もありまして、鉄筋になりました」
「その後、昭和32年になりまして、いよいよ広島の街が復興ができてきたということで、『広島復興大博覧会』というまたイベントを開くことになりました。そして、第三会場として、今のこの建物を再建しようということでで、出来上がったのが現在の天守です。見ての通り、天守って鉄筋コンクリートでできています。しかし、実は木造にする方がいいんじゃないかと意見もあったんですけども、当時は、鉄筋コンクリートの方が高かった。そして、広島って一度焼け野原になってるので木造だと火災に弱いんじゃないのかという意見もありまして、鉄筋になりました」
【本田さん】
「ところがで、『1か所木造でできている』ところがあるんです。こちらの写真見ていただきたいんですが、木で組み合わせて上に職人さんが乗っかってるんですが、場所は、一番上の屋根です。第5層だけ木造でできてるんです。まず考えられるのが、ちょっとでも重さを減らしたい。鉄筋だとどうしてもすごい重量がかかってしまうので、ちょっとでも減らすために上だけ木造にしたっていう可能性があるのと、実は一番上だけ、屋根の形状がすごい特殊。あれを鉄筋コンクリートで表現するのはちょっと難しかったのではないかと。多分、ここの部分の建設は、多分宮大工さんたちではないかと。近代的な建物なんですが、一部、上だけちょっと違うっていうですね…」
しかも、3代目天守の工事期間はわずか10ヶ月でした。
設計が完成しないまま作り始めたのだとか。
【本田さん】
「ちょっと残念なことに老朽化が進みまして、大きな地震が来ると危ないということで、現在の天守は閉館を迎えるということになっております」
【村上リポーター】
「なんかもう、それを聞いたら本当に入れなくなるのは悲しい」
【本田さん】
「私はもう 24年通算で働いているので、ちょっと寂しいですよね」
「ところがで、『1か所木造でできている』ところがあるんです。こちらの写真見ていただきたいんですが、木で組み合わせて上に職人さんが乗っかってるんですが、場所は、一番上の屋根です。第5層だけ木造でできてるんです。まず考えられるのが、ちょっとでも重さを減らしたい。鉄筋だとどうしてもすごい重量がかかってしまうので、ちょっとでも減らすために上だけ木造にしたっていう可能性があるのと、実は一番上だけ、屋根の形状がすごい特殊。あれを鉄筋コンクリートで表現するのはちょっと難しかったのではないかと。多分、ここの部分の建設は、多分宮大工さんたちではないかと。近代的な建物なんですが、一部、上だけちょっと違うっていうですね…」
しかも、3代目天守の工事期間はわずか10ヶ月でした。
設計が完成しないまま作り始めたのだとか。
【本田さん】
「ちょっと残念なことに老朽化が進みまして、大きな地震が来ると危ないということで、現在の天守は閉館を迎えるということになっております」
【村上リポーター】
「なんかもう、それを聞いたら本当に入れなくなるのは悲しい」
【本田さん】
「私はもう 24年通算で働いているので、ちょっと寂しいですよね」
最後に最上部の第5層へ向かいましょう。
【村上リポーター】
「いやー、綺麗に見えますね!広島の景色!」
【本田さん】
「宮島もよく見えてますね」
【村上リポーター】
「宮島見えてますか?」
【本田さん】
「真正面の。今日天気がいいので、よく見えてます」
【村上リポーター】
「いやー、でもなんか、ここからの景色がもう見れなくなっちゃうってことですよね…」
【本田さん】
「そうなんですよね。寂しいですよ…」
この景色が見られるも3月22日まで。
ぜひお見逃しなく!
※3月22日で終了するのは内部の展示室や最上部第5層からの眺望です。
建物はそのまま残るので天守の外観は、引き続き見学することができます。
【村上リポーター】
「いやー、綺麗に見えますね!広島の景色!」
【本田さん】
「宮島もよく見えてますね」
【村上リポーター】
「宮島見えてますか?」
【本田さん】
「真正面の。今日天気がいいので、よく見えてます」
【村上リポーター】
「いやー、でもなんか、ここからの景色がもう見れなくなっちゃうってことですよね…」
【本田さん】
「そうなんですよね。寂しいですよ…」
この景色が見られるも3月22日まで。
ぜひお見逃しなく!
※3月22日で終了するのは内部の展示室や最上部第5層からの眺望です。
建物はそのまま残るので天守の外観は、引き続き見学することができます。
