被爆80年 あの日の記憶を音楽で次の世代へつなぐ曲 広島の3人のミュージシャンが制作へ
5/15(木) 20:30
被爆80年プロジェクト「つたえる・つなげる ヒロシマ・ナガサキ」です。
被爆の継承に向け音楽の力で何かできないか動き始めた広島出身のミュージシャンに密着、その第一弾です。
先月、平和公園の原爆慰霊碑に手を合わせていたのは、広島在住の3人のミュージシャンです。
【メビウス・岡田真実さん(41)】
「被爆というものに対して音楽で向き合いたい」
【メビウス・岡田賀江さん(39)】
「被爆された方の声を残す」
【シンガーソングライター・藤江潤士さん(46)】
「僕らはミュージシャンとしてそれを音楽に落とし込む」
被爆者の想い。
物言わぬ証言者からの学び。
被爆地で育った彼らが被爆80年と向き合って生まれる音楽とは?
先月上旬3人は広島市内で集まっていました。
広島出身の藤江潤士さん。
ソロ活動10年目です。
TSSの「Thank you for zero」キャンペーンソング「家族の約束」を歌っています。
一方の熊野町出身の姉妹デュオ「メビウス」。
結成18年、メジャーデビュー後は、災害の被災者へ応援ソングを作るなど、地元に寄り添って活動をしてきました。
祖父母が被爆者の被爆3世です。
被爆の継承に向け音楽の力で何かできないか動き始めた広島出身のミュージシャンに密着、その第一弾です。
先月、平和公園の原爆慰霊碑に手を合わせていたのは、広島在住の3人のミュージシャンです。
【メビウス・岡田真実さん(41)】
「被爆というものに対して音楽で向き合いたい」
【メビウス・岡田賀江さん(39)】
「被爆された方の声を残す」
【シンガーソングライター・藤江潤士さん(46)】
「僕らはミュージシャンとしてそれを音楽に落とし込む」
被爆者の想い。
物言わぬ証言者からの学び。
被爆地で育った彼らが被爆80年と向き合って生まれる音楽とは?
先月上旬3人は広島市内で集まっていました。
広島出身の藤江潤士さん。
ソロ活動10年目です。
TSSの「Thank you for zero」キャンペーンソング「家族の約束」を歌っています。
一方の熊野町出身の姉妹デュオ「メビウス」。
結成18年、メジャーデビュー後は、災害の被災者へ応援ソングを作るなど、地元に寄り添って活動をしてきました。
祖父母が被爆者の被爆3世です。
【藤江潤士さん】
「同じイベントに出てたのきっかっけで仲良くさせてもらってる」
【岡田真実さん】
「ずっと一緒に曲を書きたいねというのは、言ってたり思ってたりしてたんですよ」
それが被爆80年の今だと3人は考えていました。
【3人】
「自分たちが、おじいちゃんおばあちゃんが残してくれたこの平和な町、時間を次の世代にちゃんとバトンタッチできるかなというなんか不安というか責任というか」
「身近に戦争を感じることも増えたしね」
「子どももできたしね。リアルに、ひょっとしたら、自分の子どもたちが戦場になんてことになりかねんってなると全然他人事じゃないね」
「そういった意味でもやっぱり、被爆された方の声を残すということが、すごく未来を変えるような気がして」
結婚し大切な家族ができた3人。
未来に思いをはせるようになっていました。
【岡田真実さん】
「平和について触れながら被爆者の人の話をもう1回聞かせてもらいながら、曲にできたらという思いはある」
【藤江潤士さん】
「被爆者の方の言葉をそのまま使って僕らが曲を書くとかはどうなのか。歌詞にするよりもちゃんと言葉を残す」
【岡田賀江】
「私の子どもたち、まだ3歳の子とかあと何年かたって平和学習があるときに、亡くなられて実際の声が聴けない可能性があるじゃないですか。だからそういった意味でも一曲被爆された方の声を残すのはいいのかなと思った」
【藤江潤士さん】
「語り部の方とコンタクトを取ってみるとか、資料館に行って言葉を拝借するとか言葉の収集からはじめようか」
「同じイベントに出てたのきっかっけで仲良くさせてもらってる」
【岡田真実さん】
「ずっと一緒に曲を書きたいねというのは、言ってたり思ってたりしてたんですよ」
それが被爆80年の今だと3人は考えていました。
【3人】
「自分たちが、おじいちゃんおばあちゃんが残してくれたこの平和な町、時間を次の世代にちゃんとバトンタッチできるかなというなんか不安というか責任というか」
「身近に戦争を感じることも増えたしね」
「子どももできたしね。リアルに、ひょっとしたら、自分の子どもたちが戦場になんてことになりかねんってなると全然他人事じゃないね」
「そういった意味でもやっぱり、被爆された方の声を残すということが、すごく未来を変えるような気がして」
結婚し大切な家族ができた3人。
未来に思いをはせるようになっていました。
【岡田真実さん】
「平和について触れながら被爆者の人の話をもう1回聞かせてもらいながら、曲にできたらという思いはある」
【藤江潤士さん】
「被爆者の方の言葉をそのまま使って僕らが曲を書くとかはどうなのか。歌詞にするよりもちゃんと言葉を残す」
【岡田賀江】
「私の子どもたち、まだ3歳の子とかあと何年かたって平和学習があるときに、亡くなられて実際の声が聴けない可能性があるじゃないですか。だからそういった意味でも一曲被爆された方の声を残すのはいいのかなと思った」
【藤江潤士さん】
「語り部の方とコンタクトを取ってみるとか、資料館に行って言葉を拝借するとか言葉の収集からはじめようか」
1週間後、3人は平和公園にいました。
《国立広島原爆死没者追悼平和祈念館》
【3人】
「追悼平和祈念館」
「知ってました?」
「知らん、情けない話よね」
「本当ね」
広島で育ち平和学習を受けた3人も初めて訪れた「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」。犠牲者を追悼し被爆体験を後世へ継承するため、23年前に作られました。
【3人】
「本当に知っとることは、ごく一部だったんだろうなって思うね」
「忘れちゃいけないといいながらも、自分たちの手で知ろうとしていなかったんだなって思う」
「どうやったら生き延びれたんだろう」
「亡くなられた方は人の姿でもなかっただろうね」
「下手したら消滅した人がいる」
《国立広島原爆死没者追悼平和祈念館》
【3人】
「追悼平和祈念館」
「知ってました?」
「知らん、情けない話よね」
「本当ね」
広島で育ち平和学習を受けた3人も初めて訪れた「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」。犠牲者を追悼し被爆体験を後世へ継承するため、23年前に作られました。
【3人】
「本当に知っとることは、ごく一部だったんだろうなって思うね」
「忘れちゃいけないといいながらも、自分たちの手で知ろうとしていなかったんだなって思う」
「どうやったら生き延びれたんだろう」
「亡くなられた方は人の姿でもなかっただろうね」
「下手したら消滅した人がいる」
【岡田真実さん】
「初めて来させてもらったんですけど」
【スタッフ】
「体験記を読んだり、証言ビデオを見ることができます」
15万点以上残された被爆者の記録と3人は向きあいました。
【被爆証言ビデオ(2001年収録):14歳で被爆・恒松多美子さん(当時69)】
「お姉さん、お姉さんと言って(お姉さんの)下半身が大きな柱やコンクリートの塊とかそういうものに押さえられて、それをどうすることもできない。もうその時点でお隣のうちから火が出て、最後には、ここのうちの犠牲になるから早く逃げて頂戴と姉が言いまして、姉のそばに立っていることすら熱くてよびかけたんですけど、うつぶせたまま返事をしませんでした。そうするうちに姉の方に火が移っていましたから、おそらく焼け死ぬ前に気を失ってしまったと思うんです」
【岡田賀江さん】
「逃げてたなと思いました。現実から。逃げてたなと思って」
【藤江潤士さん】
「僕はちょっと初めてに近いぐらい怒りを覚えました。僕は反戦歌とかそういう平和について曲を書くことはやってこなかったけど、二度と繰り返さないとかこの惨状を残せるきっかけになるんだったらやりたいなと思いました」
【岡田真実さん】
「原爆がもたらした悲劇ってこんなにもむごくて悲しくて、今もそれに苦しめられてるという現実があることを証言の中で教えていただいたし、それをちゃんと受け取らせてもらって曲にさせてもらう責任も感じました。曲を書き始めるスタート地点じゃないですか、こんな感情になるとは思わなかった。知ってるつもりでここまで来てました。全然知らなかった。でも今から知ることができるもんね」
「過去をもっと理解したい」そう誓った3人。
被爆80年。
音楽で次の世代へあの日をつなぎます。
「初めて来させてもらったんですけど」
【スタッフ】
「体験記を読んだり、証言ビデオを見ることができます」
15万点以上残された被爆者の記録と3人は向きあいました。
【被爆証言ビデオ(2001年収録):14歳で被爆・恒松多美子さん(当時69)】
「お姉さん、お姉さんと言って(お姉さんの)下半身が大きな柱やコンクリートの塊とかそういうものに押さえられて、それをどうすることもできない。もうその時点でお隣のうちから火が出て、最後には、ここのうちの犠牲になるから早く逃げて頂戴と姉が言いまして、姉のそばに立っていることすら熱くてよびかけたんですけど、うつぶせたまま返事をしませんでした。そうするうちに姉の方に火が移っていましたから、おそらく焼け死ぬ前に気を失ってしまったと思うんです」
【岡田賀江さん】
「逃げてたなと思いました。現実から。逃げてたなと思って」
【藤江潤士さん】
「僕はちょっと初めてに近いぐらい怒りを覚えました。僕は反戦歌とかそういう平和について曲を書くことはやってこなかったけど、二度と繰り返さないとかこの惨状を残せるきっかけになるんだったらやりたいなと思いました」
【岡田真実さん】
「原爆がもたらした悲劇ってこんなにもむごくて悲しくて、今もそれに苦しめられてるという現実があることを証言の中で教えていただいたし、それをちゃんと受け取らせてもらって曲にさせてもらう責任も感じました。曲を書き始めるスタート地点じゃないですか、こんな感情になるとは思わなかった。知ってるつもりでここまで来てました。全然知らなかった。でも今から知ることができるもんね」
「過去をもっと理解したい」そう誓った3人。
被爆80年。
音楽で次の世代へあの日をつなぎます。