伝説の蒸気機関車「C57 貴婦人」 数々の試練乗り越え“夜間大移動”ついに完了 三菱重工・三原

3/13(水) 21:00

てつたまです。野川さんお願いします。
【野川キャスター】
今回も前回に続き、三菱重工業製造の蒸気機関車C57の移設計画に密着しています。
いよいよ巨大なSLが動きます!それでは…


戦前、三菱重工業の手によって製造され、引退後は三原製作所糸崎工場で50年以上にわたって展示されてきた蒸気機関車C57。これを直線距離で南西に2キロ離れた和田沖工場へ移設、展示する計画に、今回我々、チームてつたまが独占密着しました。
重さ90トンにも及ぶ大きさ故に、3つに切り離して運ぶ計画でしたが、それも苦労の連続。

クレーンで吊り上げる場所までウィンチで引っ張り出そうとしますが、動きません。
大概の機関車はこれで動くということだったのですが。
そこで急遽、トレーラーに搭載されていたウインチをもう1機、追加!2台で引っ張ります。

【野川キャスター】
「うご、動いた。動いてる。C57のあの巨体が1回に数センチずつ、前に進んできています。なかなか一台のウィンチ。引っ張る機械では進まずに、2台のこのウインチを起動してようやく少しずつ前に進んでいます。この地に来て以来およそ50年ぶりに、自力ではありませんけれども、レールの上を進んでいるという」

2台のウィンチの力でようやく動き始めたC57。トレーラーへの積み込みは当初、午前中で終わる予定でしたが、動かすだけで、すでに予定時間をオーバーしていました。

【三菱重工業エンジニアリングセグメント車両部 安東 洋 次長・野川キャスター】
「一段落して、今の気持ちとしては?」「僕は考えている難所の一つが、この引き出す工程でしたので。そこが何とかクリアできてよかったなと。車輪の連結、軸まわり、固着している箇所が見受けられましたので。車輪が回る、連結棒が動く。そういったシーンを見るのは初めてでしたので、やはりこの50年間っていうのが、いかに長かったのかなというのを改めて感じました。この後、上下の分離が出てきますので、はい。また引き続き気を引き締めて」

そして、午後…輸送するトレーラーへの積み込みが始まりました。2台のクレーンでバランスをとりながら、慎重に吊り上げます。機関車の上部、運転室やボイラーだけでも重さはおよそ40トン。滑り落ちるようなことがあれば大惨事です。トレーラーが走った時に道路に落下しないよう、厳重に固定します。
結局、台車と炭水車、3つのパーツの積み込みを終えたのは、夕方のことでした。
今回の輸送計画では、和田沖工場までおよそ9キロ。交通量の多い三原市中心部の道路を通るため、夜間に輸送する計画です。道中には、注意するポイントもあります。

トレーラーと合わせて車重が60トンを超えるため、走行許可を取り、道路や橋への負担を考慮してルートも選んでいます。
そして、午後9時。

トレーラーが糸崎工場を出発。和田沖工場を目指します。
先導車に誘導され、ゆっくりと国道を西へ、三原駅方面へと向かいます。

【野川キャスター】
「来ましたね。あ、後ろ向きです。C57が後ろ向きにボイラー部分、三原の市街地へとやってきました。夜の街、国道をゆっくりと進んでいきます。
まず普通は見ない、そんな映像です」

そして、輸送も折り返し…定屋大橋を通過、沼田川を渡り、住宅地の中の街路樹に当てないよう、慎重に進みます。
和田沖工場の手前では、呉線のアンダーパスをくぐります。

【野川キャスター】
「やってきました。今はステンレスボディの車両が走る呉線の線路の下を、国鉄をかけたC57がくぐります。歴史の邂逅です。新旧の鉄道が今ここで交わりました」

最初に出発した機関車上部を乗せたトレーラーはおよそ30分で和田沖工場へ到着。
続いて台車や炭水車も無事到着し、輸送は大きなトラブルなく終わりました。

翌朝。この日はトレーラーからC57の3つのパーツを展示台に降ろし、元の姿へと再び組み立てます。まずは台車から。作業を指揮する担当者の合図のもと、2台のクレーンで台車を吊り上げ、バランスがとれているかを確認しながら、少しずつ重さ28トンの巨体を持ち上げます。

ずれ落ちようものなら、大惨事になってしまうだけに神経をとがらせ、作業に当たります。

<作業の様子>
「はい、巻きまーす。巻くよ~」

台車の積み下ろしを始めておよそ30分…

「はい、こっち(車輪が)ついたよ」

続いて機関車の上部です。分離前と同じように配管やねじ、ナットなど台車と上部の連結部分を寸分の狂いなく合わせようと、合図を送る作業員、クレーンの運転手などが息を合わせ、ミリ単位で調整します。

「ちょっと降ろすで~」「いいよ!」

およそ40トンの機関車上部を少しずつ、少しずつ。位置を調整しながら、降ろしていきます。

「OKです」「もうちょい降ろす?」「もう大丈夫です」「もう大丈夫?」

こうして作業開始から1週間…三菱重工業製造、C57 76号機の和田沖工場へ移設が終わりました。

【三菱重工業エンジニアリングセグメント車両部 安東 洋 次長・野川キャスター】
「まずは輸送と据付え。大きなイベントが終わりまして、あの一安心しているところでございます。やはり、C57ですね。というのは85年前、神戸造船所の方で製造されておりまして。我々がそのDNAをしっかりと引き継いでこれからの交通システムの車両づくりに繋げていきたいと考えております」

今後は5月末の完成を目指し、展示台に屋根を設置し、車体もお色直しします。
C57は三菱重工業車両事業の象徴、魂として新たなスタートを切ります。

【三菱重工業 エンジニアリングセグメント 経営企画部 三原管理課 江頭 誠子さん】
「ここに設置することによって、社員が先輩方が築き上げてきたこの交通事業をこの地で継承して行くっていう強い思いを持っていただけたら嬉しい。そして社外の方に対しましては、C57を見ていただいて交通事業の歴史を感じていただくとともに、和田沖工場が交通拠点としてPRできるように私たち頑張っていきたいなと思っております。そんな象徴にこのC57がなっていったらいいなと思います」

<スタジオ>
見ごたえがありました。大作戦になりました。紆余曲折ありましたが”動いて”、”移設”できました。どうなるかと思いましたが、達成感が100倍ですね。
最後はプロフェッショナルの仕事。お披露目は5月末予定です。
今回の大プロジェクトに携わったみなさん 本当にお疲れ様でした。