ウクライナから福山に避難の女性 家族4人で平和に暮らせる日はいつ来る? 侵攻から2年
2/24(土) 09:00
ロシアによるウクライナへの侵攻から24日で2年です。
広島県にはウクライナから、現在、出入国管理局が把握しているだけでも30世帯47人避難しています。
夫と離れ子供と避難してきた女性の想いを取材しました。
幸せな家族写真。
ロシアによる侵攻の1カ月前に撮影しました。
ウクライナ東部の町「ハルキウ」美しい町で穏やかに暮らしていました。
【アンナ・セメネンコさん】
「私たち家族には素晴らしい日常があった。でも一瞬でそれを失い、生活は一変したの。
想像もしていなかった」
【映像:ウクライナ公共放送】
それは突然のことでした。
【アンナ・セメネンコさん】
「私が育った家です。お母さんの家よ」
母は逃げ、助かりましたが、家は破壊されました。
【アンナ・セメネンコさん】
「これは今、ウクライナで起きていることです。大勢の人が死んでいる。早く止めなくちゃいけない」
(2022年)
アンナ・セメネンコさん。
侵攻から4カ月後二人の娘を連れ、以前、滞在したことがあった福山市へ知人を頼り避難してきました。
この日は、支援者が、子供服を届けにきてくれました。
長女のエヴァちゃん。
「あらっかわいい」
このTシャツが気に入ったようです。
【支援者 福山市立大・大庭三枝准教授】
「着の身着のままで逃れてきたから。そして子供はどんどん大きくなりますよね」
家賃や光熱費は福山市の支援を受け、民間団体の力も借り、なんとか生活基盤を整えました。
【アンナ・セメネンコさん】
「納豆にびっくりした」
愛娘のエヴァちゃんとソフィアちゃんは、徐々に、日本の生活に慣れてきました。
保育園へ通う子供たち。
避難を決断したのは、「子どもの環境」でした。
【アンナ・セメネンコさん】
「もし子供が怪我を負ったり殺されたりしたら自分を責めると思いました。男性は国外に出られないので夫は避難できない。全部自分一人でやり遂げないといけない。怖くても逃げるしかなかった」
当初、避難は長くても3カ月だと思っていました。
しかし戦争は終わらず、1年が過ぎていきました。
見知らぬ土地での孤独な子育て。
あっという間の一日です。
支えは…
夫・アンドリーさんとの毎日のテレビ電話です。キッチンを作る仕事をするアンドリーさん、今、仕事はありません。
【アンナ・セメネンコさん】
「わたしも子供たちも、パパが恋しい」
避難したとき1歳だったソフィアちゃんにパパの記憶はありません。
もう2歳半です。
「パパに会いたい」帰国を決意しました。
去年の年末、覚悟をしてウクライナへ。
1年半ぶりのパパです。
ソフィアちゃんは初めてパパのぬくもりを知りました。
一緒に、大きな雪だるまをつくったのが一番の思い出です。
一方で・・・日に何度もある空襲警報。
恐怖におびえました。
「まだここでは暮らせない」日本に戻ることにしました。
空港へ向かう列車で「パパはなぜ一緒じゃないの?」とソフィアちゃんは泣いていました。
帰国したアンナさんに今のウクライナの様子を聞くと…
【アンナ・セメネンコさん】
「家から4キロさきのところで爆撃があって、爆撃波と衝撃音が…それは怖かった。今の時点で未来は全く見えない。現時点でウクライナに住むのはとても怖いし子供二人を育てるのは困難です」
「きん、かね」
ひらがも読めなかった日本語。
習いに行く時間はないので、スマートフォンで勉強しています。
【アンナ・セメネンコさん】
「むずかしいです。様々な手続きがあるけれどまったくわからないことも多くて…」
避難して1年8カ月。
言葉も文化もまだ分からないことだらけです。
ここで暮らしていくには、仕事が必要ですが見つかっていません。
民間の支援金がもらえるのは、あと1年と少し。
日本での生活の形を模索中です。
長女エヴァちゃんは、4月に小学生になります。
「ここもハート、ここもハート、ここもハート、なにそれ」
「これは服」
Q:制服?
日本語がどんどん上達します。
去年9月に一足早くウクライナでも小学生になり授業もリモートで受けています。
学校は、閉鎖され、クラスメイトも全員リモート。
それも日本に戻った理由のひとつでした。
日本語とウクライナ語、それに英語。
先行きが見えないため、3カ国の言語を学び始めました。
【長女・エヴァちゃん】
「むずかしい」
Q:日本語とどっちが好き?
「ウクライナ」
【アンナ・セメネンコさん】
「これは、ウクライナの小学校の最初の授業の課題よ」
「今、前線で戦っている兵士を支える言葉を書いて」という課題でした。
絵はエヴァちゃん文字はアンナさん二人で作りました。
【アンナ・セメネンコさん】
Q:何て書いてあったんですか?
「大事な大事な兵士たち。どうか健康を守ってください」
思わず、読めなくなるアンナさん。
「あなたたちの家に早く帰れるよう願っています」としめられていました。
市民も兵士として招集される中、アンナさんの夫もいつその一人になるか分かりません。
アンナさんの幸せだった日常は、2年前、一変しました。
まさか平和な市民生活が破壊されるとは…このとき、想像もしていませんでした。
【アンナ・セメネンコさん】
「日本のみなさんは、ずっとずっと安全で暮らせるよう願っています。私たちみたいな不幸が訪れませんように」
平和は当たり前のものではなく、大切に考え行動しようやく守れるもの。
アンナさんたちが私たちに伝えたいメッセージです。
(スタジオ)
あなたたちの家に早く帰るように願うという言葉をアンナさんたちにも強く伝えたいですね。
1日も早い戦争の終結と市民生活の正常化を本当に願います。
広島県にはウクライナから、現在、出入国管理局が把握しているだけでも30世帯47人避難しています。
夫と離れ子供と避難してきた女性の想いを取材しました。
幸せな家族写真。
ロシアによる侵攻の1カ月前に撮影しました。
ウクライナ東部の町「ハルキウ」美しい町で穏やかに暮らしていました。
【アンナ・セメネンコさん】
「私たち家族には素晴らしい日常があった。でも一瞬でそれを失い、生活は一変したの。
想像もしていなかった」
【映像:ウクライナ公共放送】
それは突然のことでした。
【アンナ・セメネンコさん】
「私が育った家です。お母さんの家よ」
母は逃げ、助かりましたが、家は破壊されました。
【アンナ・セメネンコさん】
「これは今、ウクライナで起きていることです。大勢の人が死んでいる。早く止めなくちゃいけない」
(2022年)
アンナ・セメネンコさん。
侵攻から4カ月後二人の娘を連れ、以前、滞在したことがあった福山市へ知人を頼り避難してきました。
この日は、支援者が、子供服を届けにきてくれました。
長女のエヴァちゃん。
「あらっかわいい」
このTシャツが気に入ったようです。
【支援者 福山市立大・大庭三枝准教授】
「着の身着のままで逃れてきたから。そして子供はどんどん大きくなりますよね」
家賃や光熱費は福山市の支援を受け、民間団体の力も借り、なんとか生活基盤を整えました。
【アンナ・セメネンコさん】
「納豆にびっくりした」
愛娘のエヴァちゃんとソフィアちゃんは、徐々に、日本の生活に慣れてきました。
保育園へ通う子供たち。
避難を決断したのは、「子どもの環境」でした。
【アンナ・セメネンコさん】
「もし子供が怪我を負ったり殺されたりしたら自分を責めると思いました。男性は国外に出られないので夫は避難できない。全部自分一人でやり遂げないといけない。怖くても逃げるしかなかった」
当初、避難は長くても3カ月だと思っていました。
しかし戦争は終わらず、1年が過ぎていきました。
見知らぬ土地での孤独な子育て。
あっという間の一日です。
支えは…
夫・アンドリーさんとの毎日のテレビ電話です。キッチンを作る仕事をするアンドリーさん、今、仕事はありません。
【アンナ・セメネンコさん】
「わたしも子供たちも、パパが恋しい」
避難したとき1歳だったソフィアちゃんにパパの記憶はありません。
もう2歳半です。
「パパに会いたい」帰国を決意しました。
去年の年末、覚悟をしてウクライナへ。
1年半ぶりのパパです。
ソフィアちゃんは初めてパパのぬくもりを知りました。
一緒に、大きな雪だるまをつくったのが一番の思い出です。
一方で・・・日に何度もある空襲警報。
恐怖におびえました。
「まだここでは暮らせない」日本に戻ることにしました。
空港へ向かう列車で「パパはなぜ一緒じゃないの?」とソフィアちゃんは泣いていました。
帰国したアンナさんに今のウクライナの様子を聞くと…
【アンナ・セメネンコさん】
「家から4キロさきのところで爆撃があって、爆撃波と衝撃音が…それは怖かった。今の時点で未来は全く見えない。現時点でウクライナに住むのはとても怖いし子供二人を育てるのは困難です」
「きん、かね」
ひらがも読めなかった日本語。
習いに行く時間はないので、スマートフォンで勉強しています。
【アンナ・セメネンコさん】
「むずかしいです。様々な手続きがあるけれどまったくわからないことも多くて…」
避難して1年8カ月。
言葉も文化もまだ分からないことだらけです。
ここで暮らしていくには、仕事が必要ですが見つかっていません。
民間の支援金がもらえるのは、あと1年と少し。
日本での生活の形を模索中です。
長女エヴァちゃんは、4月に小学生になります。
「ここもハート、ここもハート、ここもハート、なにそれ」
「これは服」
Q:制服?
日本語がどんどん上達します。
去年9月に一足早くウクライナでも小学生になり授業もリモートで受けています。
学校は、閉鎖され、クラスメイトも全員リモート。
それも日本に戻った理由のひとつでした。
日本語とウクライナ語、それに英語。
先行きが見えないため、3カ国の言語を学び始めました。
【長女・エヴァちゃん】
「むずかしい」
Q:日本語とどっちが好き?
「ウクライナ」
【アンナ・セメネンコさん】
「これは、ウクライナの小学校の最初の授業の課題よ」
「今、前線で戦っている兵士を支える言葉を書いて」という課題でした。
絵はエヴァちゃん文字はアンナさん二人で作りました。
【アンナ・セメネンコさん】
Q:何て書いてあったんですか?
「大事な大事な兵士たち。どうか健康を守ってください」
思わず、読めなくなるアンナさん。
「あなたたちの家に早く帰れるよう願っています」としめられていました。
市民も兵士として招集される中、アンナさんの夫もいつその一人になるか分かりません。
アンナさんの幸せだった日常は、2年前、一変しました。
まさか平和な市民生活が破壊されるとは…このとき、想像もしていませんでした。
【アンナ・セメネンコさん】
「日本のみなさんは、ずっとずっと安全で暮らせるよう願っています。私たちみたいな不幸が訪れませんように」
平和は当たり前のものではなく、大切に考え行動しようやく守れるもの。
アンナさんたちが私たちに伝えたいメッセージです。
(スタジオ)
あなたたちの家に早く帰るように願うという言葉をアンナさんたちにも強く伝えたいですね。
1日も早い戦争の終結と市民生活の正常化を本当に願います。