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今、世界が求める被爆者の声 体験を伝え続ける小倉桂子さん85歳

8/4(木)  18:36 掲載

今週は8月6日を前にシリーズ「あの日をつなぐ」をお伝えしています。4回目の今回は、英語で被爆証言する被爆者のコロナ禍の1年半を取材しました。ウクライナ情勢を受けその役割が求められていました。

【小倉桂子さん】
「私は小倉桂子です。平和のためのヒロシマ通訳者グループの代表です。広島に落とされた原子爆弾で被爆したひとりです」

コロナ禍に、ウェブサイトを立ち上げ、英語で発信を始めた被爆者がいます。
小倉桂子さん。独学で英語を身に付けました。8歳のとき、広島市東区牛田の自宅で被爆した小倉さん。この世の地獄を目の当たりにしたといいます

【小倉桂子さん】
「一番つらいのは小さな子供だったのに毎日毎日人が亡くなっていく。本当にひどい状況を私が見たこと。それがすごい強烈なんですよね。やっぱりずっと後ろめたさというのは目の前で人が亡くなっていて、それって私のせいかもと思って、それがトラウマになってぜったいこれは一生人に言うまいと」

25歳で結婚し主婦に。夫・馨さんは、アメリカ生まれで英語が堪能。市役所勤めで通訳をし、平和行政にも携わりました。その夫は、小倉さんが42歳の時突然他界。はからずも、亡き夫に代わり被爆者の通訳をする機会が増えていきました。そんなとき外国人から言われたのは…。

【小倉桂子さん】
「桂子、自分の話をしてくれないか。そうすると通訳の時間がない分だけ僕たちは聞きたいことを、いくらでも聞けるからということで、通訳が無ければ倍時間があるから、もっとそういう見えない苦しみを伝えられるんじゃないかなという風に思うようになって」

英語で被爆体験を語る小倉さんの元には依頼が続き、40年以上、国内外で伝え続けてきました。その数、年間およそ2000人です。

【小倉桂子さん】
「7月ですね、毎年こんな感じ」
しかし、去年は新型コロナウイルスの影響で…
「全部キャンセルになりました」
「先の予定真っ白ですね」

それでも歩みを止めず仲間と、去年8月6日英語でヒロシマを発信するホームページを立ち上げ、ユーチューブで配信も始めたのです。

【小倉桂子さん】
「コロナの壁を乗り越えて、戦争は嫌だ核兵器は嫌だというその強い意志を世界に発信するために今年は打って出る元年」

オンラインを駆使し、精力的に新たな活動を始めた去年。もうひとつ思いを強くする出来事がありました。
去年10月被爆者運動を先頭に立って引っ張ってきた被爆者の坪井直さんが亡くなりました。

【小倉桂子さん】
「さみしい」

小倉さんは、20年以上に渡り坪井さんの被爆証言の通訳を務めていました。一緒にアメリカにも同行し、坪井さんが平和の種をまく力強い姿を目の当たりにしてきました。

【小倉桂子さん】
「坪井先生は相手の目線に合わせるのね。相手が理解できないような話し方はなさらない。
その国の問題点とか悩みとかそういうものを踏まえて相手の気持ちになって話をされる。
影響力。私もいつもそれを思う。私がきょう話をしたこの話を聞いた人たちは次にどんな歩き方をするだろうかという風なことを想像するんですね。坪井さんのそばでお話しを伺った経験が私にさせているものだと思います」

大きな影響を受けた坪井さんの死。自分はあと何年続けられるか。坪井さんの思いの分も歩みを止めないそう胸に抱いた頃、それは起こりました。

【小倉桂子さん】
「プーチンがいかにもやすやすと核大国だと言った時の腹立ち。腹が立って核を脅しの材料に使う、あんなひどい、あんな卑怯な。ロシアとウクライナの話だけじゃなくてね、核も軍隊もあった方がいいんじゃないかなっていう風に思う人がいるかもしれないから、そこでももうひと踏ん張りみんなで考えなきゃいけない」

「今こそ被爆者の声を聞きたい」と小倉さんのもとには取材や講演が殺到していました。スケジュール帳は再び埋まっていました。とりわけ増えたのはヨーロッパからの依頼でこの日は、デンマークの公共放送の取材です。

【デンマーク人ジャーナリスト】
「デンマークでは多くの人が原子力を恐れていて原子力に関する事実がほとんどわかっていない。多くの人が本当の事実を知りたいんです」

デンマークは、核を持たない国で、原子力発電所もなく、風力発電に力を注いできました。
しかし、NATO加盟国として、ロシアの脅威にさらされる中、近隣諸国からの資源の供給も不安定に。核や原発所持への議論がにわかに起こり、広島と福島に取材に来ていました。

【デンマーク人ジャーナリスト】
「(当時)いつ異変を感じたんですか」
【小倉桂子さん】
「放射線の影響について?わからなかったの。大勢の人が原爆投下後市内に入りのちに病気になったり死んだりしました。私の親戚や友人近所の人たちは何の傷跡もなく家に戻りました。やけどもありません。でも死んだのです」
【デンマーク人ジャーナリスト】
「我々は核兵器を持っていません」
【小倉桂子さん】
「どうかそのままを維持してちょうだい。私は核兵器をなくすために一生懸命走ってきました。でもまだたくさんの核兵器があるの。私の何ができると思う?私はもう長くは生きられない。たくさんのほかの人たちに同じことを考え続けてほしい」

撮影を終えても、熱いやりとりが続いていました。

【デンマークのジャーナリスト・アンダルス ルン マッチェンさん】
「原爆を実際に体験した人と話ができるのは光栄なことですし、最後のチャンスになるかもしれない。被爆者の力強い声を聞くことは次の世代に原子爆弾がよいことではないことや本当に本当に本当に怖くて本当に本当に本当に反対しなければならないことを伝えることができる」

被爆者にしかできないことがあります。

8月6日を前にきょうも大勢の人が小倉さんのもとを訪れます。
そして小倉さんは相手の一歩につながるよう願いを込めて言葉を紡ぎ続けます。

【小倉桂子さん】
「来年G7がありますね。リーダーたちが納得できるようなしかけをみんなで考えましょう。みんなが考えてこのリーダーたちの心の底深くに絶対核はいらない、使わないと思わせるかそれは広島の心意気だと思います。みなさんの力だと思います。頑張ってください。お願いします。一緒にやりましょう」

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